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19 May

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09 July

囮捜査・後編

囮捜査の続き





「このビル?」
周囲に人もおらず、入るのには少し勇気がいる。
これ以上の出費を抑えるためなのだろうが、食事しただけの相手を連れてくるには、少々問題を感じる。
このグループは賃貸マンションやホテル、車などさまざまな場所を転々と利用している。
食事しただけの相手をホテルに連れていく訳にも行かず、急な手配で用意できたのがここだけだったのかもしれない。
「そう、ちょっと古いし見た目あれだけど、中にいい場所があるんだよ」
「へー」
ダメ出しをしながらも、花崎は素直に男についてエレベーターに乗った。
小林は花崎がつていけば特に何も言わずにそれに続く。
5階でエレベーターを降りれば、すぐにドアがあった。
「ここ。友達と休憩するときとかに使ってんだけど、結構いろいろ置いてあるんだ。その友達が結構有名人な芸能関係者と知り合いだったりして、俺はモデルになれそうな可愛い女の子のスカウトに協力してるんだ」
今はここにはいないから緊張せずに入ってよ、とウィンクをしながら男は鍵を開け二人を中に招き入れた。
「お茶入れるからその辺に座ってて」
言い残して給湯室らしき場所に消える。
「あんま寝心地は良くなさそうだな」
「そうだな」
小林の言葉に花崎は思わず笑う。
なんだかんだこだわる明智の事務所のソファと一緒にしてはいけない。
そんな会話をしていると、男が戻ってきた。
「ハーブティどうぞ」
ゲッとは声に出さず、花崎は笑顔でお礼を言って受け取る。
「ありがとう。あ、小林は飲んじゃダメだよ?」
同じように手を伸ばそうとしていた小林は、花崎の言葉に手を引っ込めた。
「どうして? 飲めばいいのに」
男は不思議そうに首を傾げる。
「小林最近薬でアレルギー見つかっちゃって、食べ物でも大丈夫なのとダメなの確認中なの。お茶とかハーブ系は避けた方が良いかなって。救急車呼ばないといけなくなると困るし」
「そ、そうなんだ…。ココアとかは平気?」
「ココアなら、牛乳と砂糖とココアだけでできたやつなら問題ないよ。最初から甘いやつはいろいろ入ってるからわかんないけど」
「わかった。待ってて」
男は笑って、もう一度給湯室に戻っていった。
再び戻ってきてココアを小林の前に置く。
「どうぞ」
渡されて困惑しながら視線を送ってくる小林に花崎は頷いた。
それを見て小林はようやくココアに口をつけた。
甘さが気に入ったのか美味しそうにココアを飲み干す。
それを見ながら花崎もお茶を傾ける。
何口か含んだ途端、お茶を噴くように咳き込んだ。
「ゴホッ…気管に入ったっ…」
ハンカチで口元を押さえながら何度か噎せて、ようやく落ち着く。
はあっ、と息を吐いて花崎は力を抜いた。
その後もお茶に口を付けるが、むせるのを警戒したように花崎は飲む度にハンカチを口に当てる。
そんな風にしながら、なんとか話を弾ませようとする男と会話を続けていく。
少しした後、花崎は突然背もたれに体を預けた。
「どうかした?」
花崎に問いながら男は立ち上がる。
その顔はにやけている。
「こばやし……私、なんか変……」
「花崎!」
力が抜けた花崎を支えようと手を伸ばすが、その花崎は男に奪われてしまった。
花崎を抱き上げてベタベタと触る男を、小林は強く睨みつける。
「そいつに何した」
「ちょっとお薬飲んでもらっただけだよ。大丈夫、法律では規制されてないお薬だから。本当は君にも飲んでもらいたかったけど、アレルギーのショック症状起こされたら流石に困るからね」
にこやかに男が言うと、突然ドアが開く。
そして複数の男達が現れた。
男たちは小林と花崎を見て、へえ、と感嘆の声を上げる。
「最近サツが目を光らせてるからなかなか仕事できなかったけど、随分上玉じゃねーか」
「だろー。こいつは逃す手はねーと思ってさー。それにこの歳なら警察の囮ってこともねーしな」
実際は警察の囮なのだが、こうやって引っかかったということは依頼をしてきた中村刑事の判断は正しかったのかもしれない。
「白い方はかなりの上玉だから、処女ならあっちに回せばいい金になる。下には手―出すんじゃねーぞ。ヤりたい奴は口か手を使え」
そう言った男の手が花崎の胸を鷲掴んで揉みあげる。
偽乳だと分かっていても見ていて小林はいい気はしない。
「そいつに触んな!!」
モヤを使えば、男たちを簡単に撃退できる。
けれど今は出来ない。
直接手を出せない小林より実際に犯せる花崎がいいのか、5人中4人が花崎に群がる。
一人の小林に来た男は暴れる小林に手を焼いて羽交い締めにするので精一杯だ。
その小林の目の前で無遠慮に男達が花崎に触れる。
「…いや……」
腕を抑えられ、胸を揉まれ、足を撫でられながら、花崎は力の入らない声で拒否の言葉を口にする。
「へえ、さっきはまるで男みたいな態度だったけど、こうなると可愛いな」
「やめ…て……」
瞳を潤ませながら花崎が訴えれば、加虐心を擽られたのか、男が花崎のシャツの前を引き裂いた。
幸い中にもう一枚、素手ではまず破れないであろうシャツを着ていたので男であることはまだバレない。
「チッ…」
男は舌打ちしてポケットからナイフを取り出した。
そして刃を花崎を守る布に当てる。
「やっ…いや…ぁ……! 誰かぁ!!」
力が入らないながらも、必死に抵抗しようと藻掻きながら悲鳴を上げる花崎。
「へっ…誰も助けちゃくれないぜ。今この様子も映像に撮ってる。さっきの飯代分もしっかり元とらしてもらうからな」
「無理矢理系の映像って結構売れるんだよな」
他の男も楽しそうに言いながら花崎の耳を舐める。
「ひゃあっ、ん」
それに花崎がびくりと震えて反応すればまた楽しそうに笑われる。
そして、男のナイフが花崎のもう一枚のシャツを切り裂いた。
『準備完了だ』
そこに唐突に機械越しの音声が響いた。
途端、男の手からナイフが消える。
更に花崎の足に触っていた男が反応し始めていた急所を蹴り上げられてのたうち回る。
何が起きたか理解できていない花崎の上に乗っている男は顎から殴り上げられて後ろに吹っ飛んだ。
「小林!」
「うわっ!」
後ろから襲いかかろうとした男に肘を入れながら花崎が叫べば、小林を捕まえていた男が悲鳴を上げて血を流した。
「な、なんだお前ら!!」
一人被害に遭っていない男が叫ぶが、そこに警察が突入してくる。
「集団強姦未遂の現行犯逮捕ーってな」
にやりと笑う花崎の前で男たちは次々に捕らえられていった。
花崎は薬など盛られていなかった。
態とらしく噎せた時にハンカチに全て吐き出した。
通常ハンカチで受け止められる量ではなかったので男も気づかなかっただろう。
ハンカチに挟んでおいた大友特性の超薄手吸水シートが効果を発揮した。
相変わらずすごいものを発明する男である。
被害にあった女性たちの供述から、男達がどのような薬を使ってくるのかを知り、それに沿うように演技をしただけだ。
演技のできないであろう小林は、アレルギーという脅しで薬を盛られるのを回避した。
小林は花崎が演技であると知っていたから、最初から決めていた花崎の『私、なんか変』という合言葉に従い、耐えた。
「怪我してねーだろうな?」
「誰に言ってんだよ。あんな奴ら相手に後れを取ったりしねーよ」
駆け寄ってきた小林に問われて、笑いながら手を振る。
シャツを切り裂かれた花崎は偽乳入りのタンクトップが晒されている状態だが、偽乳が入っている以外は普段と大して変わらないので花崎は気にしない。
女装して乱された状態は結構危うい格好ではあるが、本人は気づいていない。
男の警察官たちが、協力者の男だと分かっていても、顔を逸らしては時々ちらりと視線を向けているので、小林はなんとなくその前を両手を使って閉じさせる。
小林が言いたいことが伝わったのか、花崎は閉じられた前を自分の手で押さえた。
「いやー、流石にバレるかと思って焦ったー」
伝わってなどいなかった。
中途半端な女装が見苦しいとでも思ったのだろう。
けれどきちんと隠したので、小林はまあ良しとする。
「でも小林の方に行ったのが一人で良かった。小林が襲われたら証拠とか言ってる場合じゃなかったもんな」
美少女だったのが上手く働いたなーと、花崎は楽しそうに笑う。
その言葉に小林は舌打ちしか出ない。
小林が襲われていたら作戦は中止していたなら、花崎が襲われた時に作戦など無視してしまえばよかったと思う。
そうすればあんなふうに見知らぬ男達に、演技とは言え泣きそうになりながら襲われ、触られるという胸糞悪い光景を見ずに済んだのだ。
『お前たち、あとは警察に任せて戻ってこい。車は下に回してある』
「へーい」
返事をすると通信を切って小林を振り返る。
「んじゃ行こうぜ小林」
相変わらず馬鹿のように表情の緩い花崎に溜息を一つ零して小林は花崎について歩き出した。
車に乗れば、明智が苦笑しながら声をかける。
「花崎、随分素敵な格好になってんじゃねーか」
花崎の状態は乱暴されかけた女性そのものだ。
「ナイフで切られたときは焦ったけど、中に一枚着といてよかったー」
だが花崎はやはりまったく気にしていない。
ナイフを向けられたことすら、その事実ではなく服が切られてバレる可能性に対する焦りしか生んでいなかった。
「貞操は大丈夫だったか?」
無事なのはわかっているので、明智は面白そうに問う。
「映像の為に声も出させたかったらしくて、キスもされずにすんだよ」
口を塞いでは声が撮れないので、そういう意味では撮影を意識してくれて助かった。
おそらく同じ理由で服の上から触られている時間が長かったのも花崎の助けになった。
それは何より、という明智と違い、花崎の言葉に井上と小林がギョッとした。
二人ともその可能性には全く思い当っていなかったらしい。
「でも首とか耳とか舐められて気持ちワリー」
言いながらエチケットシートで念入りに拭いているが、どうも取れた気がしない。
「そういうのはさっさと風呂に入るのが一番だな。事務所に戻るか」
「へーい」
「井上」
「分かりました」
花崎の返事を聞いて明智が井上を呼べば、井上はすぐに車を発進させた。
ふと花崎は隣で体育座りをする小林に視線を向ける。
靴は朝の時点で井上に怒られたので脱いでいる。
それはいいとして、口をへの字に曲げて、視線をずっと外に向けている。
「小林、疲れた?」
いつも小林から声をかけることはあまり無いが、それでも大人しく、しかも誰が見ても不機嫌だ。
花崎の問いにもうんともすんとも言わない。
「女装したから不機嫌なんじゃないのか?」
「えーでもこの格好のおかげで高級肉ガッツリ食えたんだぜー?」
井上が言うが、花崎はその答えに納得がいかない。
あの時はどう見ても恰好など気にしていなかった。
「わかってねーなぁ」
そんな二人のやり取りに明智は苦笑する。
「せんせーわかんの?」
なら教えてよと花崎が身を乗り出すが、明智は答えようとはしない。
「だから先生って呼ぶなっつってんだろー。何割か花崎の所為だから自分で考えなさい」
「えー! 俺の所為なの!?」
心外だと思うが、否定できる根拠もなく花崎は悩み始める。
が、すぐにやめた。
「小林、俺何しちゃったの?」
真っ正直に小林に答えを問う。
小林はちらりと花崎に視線を送り、しかし舌打ちをして再び目線を逸らしてしまった。
「小林ぃ……」
小林が答えてくれないどころか構ってもくれないので、花崎は悲しげに眉を落とす。
「その顔ヤメロ」
花崎の落ち込んだり泣きそうだったりする顔が苦手だと知ってやっている訳ではないのは分かるが、花崎は度々こうして小林の弱点を突いてくる。
そして舌打ちしつつも、小林はそれ以上その顔をさせたくなくて向き合ってしまうのだ。
「だって小林が無視すんだもん」
拗ねたように言う花崎は、やはりあられもない。
その姿を見ているとどうしても先程の光景を思い出して、苛立ちが込み上げてしまう。
「その格好止めたら相手してやる」
それだけ言うと、また視線を外に向けてしまった。
「え、俺の女装が見苦しいから不機嫌なの?」
花崎は目をぱちくりとさせるが、小林はそれ以上は何も言わない。
もしかしたらチョーカーを外してしまった為、声が男に戻っているのも問題なのかもしれない。
だがあれは首筋を舐められたとき一緒に舐められているので再度つけたいとは思えない。
取り敢えずこの格好をやめれば機嫌が直るのだと理解したので、花崎も今はそれ以上気にしないことにした。
「井上―飛ばして―! さっさと帰って風呂入って着替える―!!」
「これ以上はスピード違反だ」
「えー!」
声を上げて不満を顔に出すも、流石に違反を犯せとは言えず、花崎はシートに背中を預ける。
やることがなくなって、先程の出来事を花崎は思い出す。
「そういや男の一人が『処女はあっちに回せば』とか言ってたよ」
つまり、録画撮影での脅しや販売以外にも何かやっているということだ。
「ああ。その辺りも野呂がしっかり録音済みだ。奈緒ちゃんがちゃーんと確認してくれんだろ」
女を食い物にする犯行に、女性二人の意気込みは素晴らしいものだ。
「そっか、じゃあいっか」
花崎は再びシートに身を預けた。
暇なので小林に相手してもらいたいが、この格好をやめるまでは駄目だと言われてしまったので諦める。
「井上―はーやーくー!」
言ったところでどうにもならないと分かっていても、花崎は思わずそう口にしてしまうのであった。







漸く事務所に戻り、小林と二人でシャワー室へ向かう。
とはいえシャワーを浴びる必要がああるのは取り敢えず花崎である。
小林はメイク落としで十分だ。
ウィッグを取れば、ネットで髪を纏められているので洗うのにちょうどいい。
「小林はこれで顔洗ってな」
そう言って化粧品を買ったときにもらった個包装のクレンジングを小林に渡した。
「これの中身をこう、顔全体に広げてメイクと混ぜるように擦って流せば化粧落ちっから。特にマスカラだから目んとこ洗い忘れんなよ」
洗い方を説明して、花崎はシャワールームに入った。
散々拭いた筈なのに、やはり男の手や舌が這った部分が気持ち悪い。
男で、囮だと分かってやっていた自分でさえ、あの少しの時間好き勝手されただけで恐怖はなくとも嫌悪感は拭えないのだから、被害にあった女子達はさぞや恐ろしく辛かっただろうと思う。
「もっと強めに殴っときゃ良かった…」
あまりやりすぎると怒られるので気絶させるに留めたが、怒られてもいいからもっと痛い目に合わせればよかったと思う。
「まあ、野呂がいんならなんとかなっか」
野呂がその気になれば社会的に殺すことすら朝飯前だ。
あとは警察次第だが、集団強姦だけではなく手広く商売していたようだし、まあ軽い罪で済むことはないだろう。
「俺が考えてもしゃーねーか」
もともと考えるのは自分の仕事ではないと、花崎は気分も切り替えてシャワー室を出た。

水滴を事務所で振りまくと井上がうるさいので髪も乾かして、花崎が戻ると小林も既に着替えまで済ませていた。
「小林! 遊ぼうぜ!!」
あの格好をやめたら相手してくれると言っていた小林に早速近づいて、同じソファに腰を落とす。
「その前に、先ほどの報告書をまとめろ」
「うへぇー…」
が、即座に井上からの命令が来て花崎は表情をげんなりとさせる。
「うへぇ、じゃない。お前は後回しにするととことん後回しにするからな。今やれ」
「しゃーねー…パパッとやっちゃうか」
井上の言葉に肩を竦めると、花崎は諦めて携帯端末で報告書のデータ入力シートを開いた。
小林もそれを覗き込む。
まだ報告書に慣れない小林は、基本的に行動を共にする花崎が入力する報告書に自分が気づいたことや思い出したことを上乗せする形だ。
そこで顔が近づき、シャワーを浴びたばかりの花崎のにおいがいつもと違い、違和感を持つ。
思わず本当に花崎かと馬鹿らしい確認をするように横を向けば、当然別人などではなく花崎の横顔が目に入る。
そして目の前には耳があった。
ふと、先ほどの事件を小林は思い出す。
「花崎」
なに? と顔を向けてくる花崎には答えずに、小林は花崎の顔の横に己の顔を寄せた。
正確には耳の辺りに。
そして疑問に思う花崎が何を言うより先に、その耳を舐めてみた。
「ひゃっ!」
途端、妙な声を上げて花崎は耳を押さえて小林を睨む。
「な、何すんだよ小林!」
「お前ここ舐められたときだけ変な反応してた」
「耳弱いんだよ! 悪かったな!! てかお前が変なことすっから思い出しちゃったじゃん!!」
未だに顔を寄せている小林から耳を守りながら、花崎は芝居もできずに妙な声を上げてしまった状況を思い出してしまった。
あれでかなり男たちの反応は良くなったので囮としては正解というか成功だったが、演技ではなかった花崎にはただの屈辱だ。
花崎の言葉を聞いて、小林は急激に不機嫌になる。
見ているだけでもイラついたあの状況を花崎が思い出したというのだ。
自分のしたことで思い出させてしまった罪悪感と、終わったのに覚えているということへの苛立ち。
小林は耳を守る花崎の手を掴むと、無理やり耳から引き離し、現れたそれに噛み付いた。
「いてっ! いてーって!!」
噛み千切る程の強さではないが、強く噛まれれば擽ったさを感じる前に、痛い。
幾度か噛まれて、痛さに小林を引き剥がそうと、掴まれたとは逆の手で小林の肩を押し返す。
が、小林が行動を舐めるに切り替えたため、力が抜けてしまう。
「ちょっ…、やめろっ……ん、や…」
体を倒してなんとか逃れようとするが、その動きに従うように小林も花崎の耳を追って体を倒してくるので逃れきれない。
「ぅ……ぁ、ふっ…んんっ…」
耳は勿論、何故か全身を這い上がるような謎の感覚が込み上げ、出してはいけない声を出しそうになり、花崎は小林の肩を放して慌てて自分の口を塞ぐ。
弱いと言ったのに、執拗にそこを攻撃してくる小林を、嫌がらせかよと恨み混じりの視線で睨んだ。
眉が下がっているのでほぼ効果はない。
小林にとって半分は憂さ晴らしであるので、嫌がらせというのも強ち間違えてはいない。
あの普段賑やかな花崎がこれほど大人しくなるとは、弱点はすごいなとも思う。
苛立っていたはずの小林はだいぶ上機嫌になり、煩いと思った時はこれで黙らせるのもいいかも知れないと思いながら、もう一度軽く喰んでみた。
途端、限界を迎えた花崎に振り落とされてソファから落ちる。
「いってーな。何すんだよ」
「そりゃこっちの台詞だってーの!!」
小林が手首を掴んでいたため、一緒に落ちて小林の上に乗る羽目になった花崎は小林の苦情に文句で返す。
「ったく…ぺろぺろぺろぺろ、犬じゃねーんだから止めろよなー」
耳を袖で拭きながら、花崎はソファに再び戻った。
その行動に、再び嫌な気分がモヤモヤとこみ上げてくるが、弱点だったらしいので怒っているのは仕方ないのかもしれないと、漸くそこで思い至り、諦めたように小林もソファに座り直した。
ソファに座ろうと片膝を上げた小林を見た花崎は、目に入ったものににやりとして先程とは逆に、座った小林に顔を寄せる。
「何だよ?」
訝しむ小林に答えずに、花崎は小林の耳を軽く食んだ。
「ひっ!」
「うわっ」
瞬間、靄が再び花崎をソファから弾き落とした。
「あっはっはっは。あっぶねー。イヤー久しぶりだとビビんなこれ」
花崎の笑いでとりあえず無事であると確認して肩の力を抜くと、今度は小林の中に原因に対する怒りが込み上げる。
「な、何すんだよ!」
「小林だって耳弱ぇーんじゃん」
靄発動する程だし? と花崎が言えば途端に小林の顔が不機嫌に歪む。
「うるさい! い、今のはいきなりだから吃驚しただけだ!!」
「んじゃもう一回やってみる?」
花崎が伸ばした手を小林が払うが、その手は諦めることなく再度小林に伸びてくる。
「やめろ」
その手を掴んで拒むので、花崎はもう片方の手を伸ばす。
そちらも小林は掴む。
「小林だって止めろっていうのにやめなかったじゃん!」
手を組み合っての押し合いになる。
少年探偵団で鍛えられたため小林も力が付いており、均衡した力でどちらも動けぬままの睨み合いになる。
「おーいお前ら―。じゃれあうのは報告書纏め終わってからにしろー。井上先生がご立腹だぞー」
「先生、別に俺は……」
明智の手前と、先程までの囮役への労いもあってか、怒りはしないが、別にと言いながらも確かに井上の顔には苛立ちが浮かんでいた。
明智たちの声にハッとして、仕方ないと花崎は渋々引き下がる。
が、結果として小林の弱点はわかったものの、自分ばかりがいいようにされた事実は変わらない。
それに小林はやってはいけないと学べば事故でない限り次からはやらないが、どうもあの行為を駄目なものとは認識していない。
どういうものかきっちり自覚させる必要がある。
「今度ぜってーぎゃふんて言わせてやる」
「ぎゃふん?」
花崎が引き下がったので力を抜いた小林だが、言葉の意味が分からず首を傾げた。
「花崎ーそれは俺の世代でも言わねーぞー」
一応、辞書の代名詞とも言える分厚い辞書にも載っているので死語ではないが、ほぼ使われていないそれに明智のツッコミが入る。
「いーの」
むくれながら、井上に怒られないように報告書の作成に戻った。
「あ、あけちくんクッション現場に忘れてきた…」
行動記録を書いていて思い出された存在に、明智と井上の反応が見られなくて残念だと肩を落とした。
後日、メディアに流れた情報では売春の斡旋どころか人身売買まで出てきて社会を賑わせた。
売春顧客などでは幾つか有名な名前も出ていて、予想以上に社会的に死んだ人間は多かった。
それでも証拠不十分で逃した人間が何人かいたと野呂が叫んでいた。
一番社会の理不尽さというものを経験している明智は「まあそんなもんでしょ」と、諦めたように肩を竦めるだけだった。
井上はただ黙っている。
今回の功労者であったはずの小林と花崎は、既に事件のことは頭にないようにお互いの弱点を探る攻防戦を繰り広げていた。
依頼料の支払いと事後報告に来ていた中村は悔しげにタブレットを噛み砕くが、その緩い空気に肩の力が抜けてしまい、溜息を一つ零した。



 

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