忍者ブログ
19 May

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

05 June

おもいぶみ

小林のターン


考える。
と、言ったものの、何も思いつかず小林は悩み続けていた。
それは傍から見ているものが心配する程だ。
あの小林が食事にさえ手をつけなくなったのだから。
靄が強制的に食べさせる事態を、まさか本人が元気で自由に動ける状況で起こされるとは流石に誰も思わなかった。
これについては花崎が食べるよう促すことで解決したが、この事態を引き起こした小林の思考については花崎でも止められない。
というより、今回においては花崎が一番止められない。
小林が花崎に近づくために自分でどうにかしたいという想いを否定したくないからだ。
自分のためにも、小林のためにも。
靄がなければいい、なんて簡単には思えない。
小林が靄の庇護を失った2回とも大怪我を負ったからだ。
小林が怪我をするくらいなら、この30センチの距離がいいと花崎は思う。
小林が嫌だというなら無くしてやりたいとは思うが、今の小林は靄を自身の一部として受け入れている。
ならば、触れ合えなくても小林を守ってくれる距離を嫌だとは思わない。
それに、この距離があるからこそ花崎を思って悩んでくれている姿が、嬉しいとすら思う。
食事をしてくれないのは困ったけれど。
「ほら、小林。これも食えって」
小林は悩みながらも、花崎の声に反応するようにフォークで卵焼きを刺して口に運ぶ。
一度30センチの外側から長いフォークを使って口に直接運ぼうとしたが、それは靄が許してくれなかったので、こうして小林から手を伸ばすことを求めるしかないが、花崎が言えば自ら動くので問題は解決された。
小林がそんな状態では仕事ができない、と思ったが意外なことに飲食すら忘れるのに無意識で動いているのか、言われた仕事はきちんとこなした。
ただし、井上からの指令も花崎の声が中継に入った場合、という条件が付くが。
それでも仕事をしているのだから迂闊に文句も言えない。
「コバちんてさーあー、ほんっとうに無意識に花崎への愛を振り撒きすぎってるよね?」
「言ってやるな野呂。あれは本当に無意識だ」
小林は食事も行動も花崎がいなければ始まらない生活になっていた。
花崎は知らないが、小林が事務所に下りてくるタイミングも花崎が顔を出す少し前だ。
どうやって察知しているのか井上は少々気になったが、確認したらあの年中無休でいちゃつき続けるカップルに当てられるのは目に見えているので探究心は押さえ込んだ。
そのため花崎は現在、小林介護の為に朝から晩まで事務所に居て一緒に食事を取るようになっている。
「しかし、小林のあれは本当にどうにかなるのか?」
花崎の存在にだけ反応する、というのはある意味究極的に好意を伝えていると思うのだが、小林は今現在花崎に近づく、或いは想いを伝える何かを探し続けてあの状態だ。
「さあねー。花崎があの状況に飽きて『ちゃんと相手してー』とでも泣きつけば直ぐ戻るんじゃなーい」
「花崎がか?」
言われて井上が花崎を見れば、小林が食べ物を口にするたびに安心したように笑みを零している。
「それはつまり、かなり先までこの状況ということか?」
正直冗談ではない。
この場に居ない野呂はまだしも、井上は一日中、ここ数日に至っては朝から晩まで目の前でこの様子を繰り広げられている。
小林の態度だけならまだしも、それを見守る花崎も問題だ。
時々話しかけたりおやつを与えたりして反応されると嬉しそうにする。
野呂曰く「デレデレしすぎ」との態度だ。
別に悪いことをしている訳でもないので注意もできない。
これが続くと思うと、井上は頭痛がした。
「何とかならないか?」
「知らなーい、と言いたいところだけど、井上の健康のために知恵を授けてあげる」
「助かる」
野呂の答えに井上は本気で感謝した。

野呂から解決案を提示された井上は、流石に花崎の前で小林に提案するわけには行かず、花崎が帰った後になって小林に提案することにした。
が、問題に突き当たってしまった。
ここ数日、小林は花崎の声しか反応を示さない。
つまり、井上が小林に話しかけたところで意味を成さない。
井上は頭痛ではなく胃が痛くなる気がした。
だが今は胃を抱えている場合ではない。
何とか小林に伝える手段を見つけねばと思考を巡らせる。
だがなかなか解決策が見つからない。
伝える一番簡単な手段は花崎に言わせることだ。
しかし今回はこの手は使えない。
花崎にだけ反応するならば、野呂に依頼して花崎の音声を構築してもらえばいいのだろうか。
けれど、声で反応するならば花崎が近づくだけで反応する現象に説明がつかない。
「ニオイか?」
いや、それでも事務所に来る前に花崎を探知する理由にはならない。
小林が数百メートル先のニオイを感知できるとはさすがに思えない。
犬猫は足音で飼い主を認識できると聞くが、それも小林には無理だろう。
「くっ……」
かつてこれほどの難事件があっただろうかと、井上は本気で悩む。
頭を抱えながら身を折る。
更にはらしくなく頭を掻き毟った。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも……」
言いかけて井上はハッとする。
「小林!?」
「お、おう…」
視線を合わせて会話が成り立つ小林に、井上は泣きたい程の喜びを覚えてしまった。
泣きはしないが、表情はゆがんでいる。
小林はそれを、体調が悪いと誤認した。
「頭痛てーならさっさと寝たらどうだ」
小林が花崎以外に見せる仲間への気遣いに、さらに井上に感動が沸き起こる。
しかし今は感動を噛み締めている場合ではない。
井上が大丈夫ならと再び思考の海に潜ろうとしているのを感じた。
「小林、花崎への対応は思いついたのか?」
花崎の名前は小林相手には絶大だ。
井上の言葉を聞いたとたん、小林は憮然とした表情になり井上に意識を戻した。
「まだだ」
舌打ちして悔しげに呟く。
そんな状況なのに井上の様子を心配して認識してくれたらしいと思うと、小林が仲間を思いやれる事実に井上は嬉しくなる。
嬉しいのだが、まだ見つかっていないとなると井上の言葉がいつ届かなくなるかわからないのでさっさと必要事項を伝えることにする。
「お前の考える答えになるかはわからないが、古来より想いを伝える手段に手紙というものがあると野呂が言っていた」
「手紙?」
「そうだ。自分の手で、自分の字で、自分の思いを形として相手に贈るものだ」
「形でおくる…」
「手段をこちらで伝えてしまうのはお前には面白くないかも知れないが、手紙自体はお前が書くものだからそこは我慢してもらえると助かる。いや、提案自体興味がないと思うならそれまでなのだが」
「いや…その……」
井上の提案に躊躇う視線をさまよわせた後、小林は更に言葉をつづけた。
「ありがとう。考えてみる」
その言葉に井上はまた感動を覚えた。
小林は本人がやりたいことややらなければならないことをするだけで、その結果感謝されるということがあまり理解できない。
だから他人が同じように小林になにかしてくれたとして、それは相手がやりたいことをやっているだけだと思うだけで感謝することは基本的にしない。
それでも、今では自分の為に誰かが何かをしてくれる行為に感謝するということを覚えていた。
その気持ちが現れたこの言葉の最初の相手はやはり花崎だったらしいが。

翌日。花崎が来るより大分早く小林は事務所に顔を出した。
「珍しいな。どうかしたのか?」
どうやら、昨晩の一件で考え込むことがなくなったらしく、小林は井上の言葉に普通に反応するように戻った。
「手紙って、どう書くんだ?」
井上に言われて一晩考えた結果、小林は手紙の書き方を全く知らないことに気付いた。
「普通に思っていることを文字に認めれば良いだけだが…もしかして小林、お前…」
言いながら、途中で井上は一つの可能性に思い至った。
小林は頷くことで肯定を示す。
「僕は字は書けない」
読むことはできる。
報告書などを読んでいて、漢字なども覚え始めている。
けれど、読めると書けるは別だ。
「平仮名練習用のなぞり書きテキストと50音表を用意してやる」
漢字はまだ難易度が高いだろうと、井上はとりあえず平仮名を覚えさせることにした。
最悪覚えなくても読めるのだから、50音表と照らし合わせて文字を綴っていけばいい。
「おっはよー!」
そこへ花崎の登場だ。
「あり。小林の意識があるっぽい?」
小林が井上と話しているのを見て、昨日までの状態が変化したのを悟る。
「僕は別に寝ていたわけじゃないぞ?」
意識がないのを寝ている状態と判断した小林から苦情が入る。
「いやお前、ずっと意識ここにない感じだったじゃん?」
「第二段階に入ったようだ」
井上が花崎に一応説明をしてやれば、成程と納得したように頷いた。
「おー! 進化系小林!! でも弁当は持ってきたから折角だから食おうぜ!」
ここ数日小林に食べさせるために重箱を持参している。
「食う」
小林は食事につられてさっさと花崎の傍まで行く。
「ほい、皿と箸な」
「ん」
受け取って、さっそく弁当に手を付け始めた。
「美味い?」
「これ結構好きだ」
「あ、ミートボール? やっぱ小林ってこういう味付け好きだよな」
声をかければ昨日までとは違い返事が返ってくる。
好みの味を口にすれば表情が緩む。
ずっと花崎を考えてくれているのも嬉しいが、やはりこうしてやり取りが出来るのも嬉しいと、相変わらず小林を見ては花崎は笑みを浮かべる。
「井上も食べる?」
毎度空になって返ってくるお重を見ては、花崎家の料理人が量を増やしてくるので3人で食べても問題ない量はある。
残れば残ったで昼食や小腹が空いたときに食べるので結局残らないが。
「余ったらそうさせてもらう」
甘いものは好きだが、砂糖の塊を口に放り込まれたようなお前らと一緒に食卓を囲むのは断じて断る、とは流石に口にはしなかった。
野呂が来るまで味方もおらず、井上は無心でとりあえず小林のテキストを作成し続けた。

小林が自分の意志で食事をするように戻ったので、夜は久しぶりに父親ととると花崎は帰っていった。
明日からは朝食も家でとってくるとのことだ。
どうやら小林の為に父の誘いをずっと断り続けていたことに罪悪感を感じていたらしい。
3食すべて事務所で摂っていたのだから一度も受けていなかったのだろう。
小林は残念に思う反面、時間ができて助かったとも思う。
「ということでまず小林がすべきことはこれだ」
先程作り上げたなぞり書きテキストを井上は小林に渡す。
平仮名50音と濁音、半濁音のものだ。
「どうすんだこれ?」
「まず見本があるからそれをなぞり、下の空欄に同じ文字を書いて練習していくものだ。単調だが分かりやすいし、覚えると同時に練習もできるので一石二鳥だ」
「わかった」
小林は素直に頷いて、渡されたペンを持ち…そこで井上に注意を受けた。
ペンの持ち方が問題だった。
「書けりゃいいだろ」
「奇麗な文字が書けないし、その持ち方で文字を書くと時間がかかる」
握りしめた状態では指先だけでペンを扱うのとは違い、線を一つ引く毎に手ごと動かす必要がある。
「奇麗じゃなきゃダメなのか?」
「せめて花崎が読めなければ意味がないだろ」
時間がかかろうとどうだろうと構わないと思ったが、確かに花崎が読めないのでは意味がないと小林は納得する。
「どう持てばいいんだ?」
問えば、井上は見本とばかりにペンを取り出す。
「こう、二本指でもって返して、残りの手を添えるだけだ」
説明は丁寧とは言えないが、実践付きなので小林にもわかりやすい。
「こうか?」
「そうだ」
実際にやって見せれば、井上は意外とやればすぐにできてしまう小林をもったいないと思う。
教える者がいれば、花崎の言葉ではないが可成りの進化を遂げるだろう。
だが小林の人生だ。
必要だと思ったことは覚えていくのだから急がず成長を見守るべきだろうと考え、親や兄弟のような気持ちに近いのかもしれないと井上は苦笑を漏らした。
花崎も小林も随分と手のかかる、欲しいとは思わないタイプの、しかし懐に入れてしまえば可愛げも見えてくる厄介な弟である。

本日は花崎の登校日である。
朝一度顔を出したものの特に大した仕事もな、夜まで授業がある花崎は今日はもう姿を見せない筈だ。
小林は3日かけて1文字につき百回から苦手な文字に至っては数百回練習をし、少しはましな文字をかけるようになっていた。
平仮名だけだが。
いや、一応漢字も2文字。
とりあえず文字が書けるようになったのだからと、すぐに手紙を書くと言い出した。
「待て。便箋と封筒がないだろう」
「なんだそれ?」
「手紙を書くのに必要な紙と入れ物だ」
「普通の紙じゃダメなのか?」
井上の言葉に小林は疑問を持つ。
「ありえないから!」
否定したのは井上ではなくピッポの中の人野呂だ。
「ラブレターをただのコピー用紙とか、ありえなさすぎ!! コバちんは今すぐレターセットを買いに行く! ほら、ゴー!!」
野呂の声に合わせてピッポが旋回した後、エレベーターに向かう。
「いや、でも…」
店買い物は、流石に花崎の為でもハードルが高い。
「平日の昼間なら人が殆ど来ない店教えてあげるから! こういうのは自分の目で選ぶべきなの!」
「わ、わかった」
そうあるべきなのだと言われたら小林は拒めない。
「小林、店での買い物も自動販売機と同じように電子マネーで可能だからな」
「ん」
一応、会計で小林が困らない様に井上が教えると、頷いて事務所を出た。
野呂はストリートビューや監視カメラから昼間はあまり人が来ない、そこそこ品揃えのいい店へ先導する。
野呂の言う通り、午前中はほとんど人の気配がないことに安心して小林はレターセットの置いてあるエリアを探す。
ピッポは入れないので、携帯で野呂が指示した方に向かえば、確かに紙と封筒が一緒に置いてあった。
女性が好きそうな華やかなものから、大人向けの渋いものまである。
「どれがいいんだ?」
「どれでもいい…って言いたけど、コバちんがこれで花崎に渡したい、って思う便箋があったら、それが一番でしょ」
「花崎に……」
言われて、悩みながら便箋を一つ一つチェックしてい行く。
そこでふと目に留まったものがあった。
小林が好きな空を映しこんだような便箋。
花崎は好きなものが多すぎて、どれが特別好きかわからない。
ならば小林の好きなものを送るのもいいのかもしれないと、小林はそのレターセットを手に取った。
「決まったー?」
「ああ」
「じゃあこっち。この店セルフレジもあるからコバちんも安心だよー」
促されていけば、確かに人のいるレジと、そうでない場所がある。
レジに立っている人間は暇だったのか、客が来たことに喜色を浮かべたが、小林はさっさとセルフレジで会計を済ませた。
井上に聞いた通り、電子マネーで買い物ができてホッとする。
花崎に贈るものを自分の力と金で買えたのも何となく誇らしかった。
自分で思いつかなかったのは悔しいが、それでも野呂と井上に少し感謝した。

「書いてくる」
事務所に戻って、そう告げると小林は屋上に引き籠った。
青い空の下で、青空の便箋を使い、花崎を想いながら一応50音表を確認しつつ一文字一文字認めていく。
書いている間に花崎への想いが次々と込み上げてきて書く内容に困らない。
その気持ちを表す言葉が分からず、同じような言葉になってしまうが、それでも気にならない。
書いている間は心どころか指先までも花崎のことを想っている気になる。
全身でそう思えるのは腹の底から何かが這いあがるような妙な感覚を覚えるが、不快なものではないのでその感覚すら楽しい。
そうしているうちに手元が見えなくなってきて、ふと手を止める。
「もう夕方か」
腹が鳴り、そういえば昼食を食べないままだったと思い出して何か食べようと道具をまとめて事務所に降りる。
「書き終わったのか?」
今日はバカップルもおらず、特に依頼もなかったため事務処理が捗った井上は、久しぶりに朗らかな顔で小林を出迎えた。
ピッポはすでに帰ったらしい。
「いや、腹が減った」
「そういえば俺もだな。たまには出前でも取るか。何か食べたいものはあるか?」
井上も時計を見て、ちょうどいい時間だと小林に提案する。
「なんでもいい」
「そう言うであろうとは思ったが、せめて何か案を出せ」
「ならピザ」
「分かった」
頷いて、井上は携帯を操作して適当にピザを3つ程頼む。
届くまでの間に、小林は明るい事務所で再び手紙を書き始めた。
随分な時間がたっているのにあまり進んでいないのだろうかと井上が覗き込めば、買った便箋の8割ほどがすでに消費されているのを目撃してしまい、見なければよかったと思った。
確かに文字を書くスピードも速くはない。
だがそれ以外にも書きあがっていない理由が明白だった。
果たして小林の想いとやらはあの便箋がなくなるまでに書き切れるのだろうかと心配にもなった。
その後、ピザが届いたので汚さない様にと一度便箋をしまい、食事を終えると小林は再び便箋を取り出した。
井上が事務所を後にしても、小林は便箋に向かい続けた。
「読め」
と、小林の指で示されたのは空を模した封筒だった。
なんだかやたら盛り上がって封が出来ていない封筒だ。
封筒で読めということは中は手紙だろうかと思いながら、花崎は手に取り中身を取り出す。
やはり便せんだった。
しかも結構な枚数がある。
封筒とセットのそれも小林が好きな空だが、小林が買ったのだろうかと思いながら開く。
あまり奇麗な文字ではなかった。
しかも全て平仮名だ。
いや、宛先だけ漢字で『花崎』と書かれていた。
小林がたった二文字だけ習得した漢字だった。
その2文字以外はまるで子供が書いたような平仮名のみで書かれた手紙。
それは文章ですらない箇条書きや単語の羅列。
語彙力もなく、知っている単語を使用して連ねたそれ。
時々『むかつく』などの単語も入っているが花崎に対する想いを、できうる限りの文字で表したそれは『きらいじゃない』は入っていても『きらい』で終わる言葉は一つもなく。
小林の想いが直接叩きつけられたような気持ちにさせられる。
読み進めていくうちに花崎はどんどん顔を赤くしていく。
それに気づかないのか、花崎が読んだことに満足した小林は口を開く。
「今回あいつらにヒントをもらったから、次はちゃんと自分で考えるからもう少し……」
「暫く何もしなくていい!」
まて、という前に花崎に否定されてしまった。
「何でだよ?」
自分に何かされるのが嫌なのかと考え、苛立ちを表情に表せば、花崎が顔を真っ赤にして小林の方を見て叫ぶ。
「こんなん、続いたら俺の心臓がもたねーよ!!」
顔が熱いのか涙まで浮かべている姿に、小林は毒気を抜かれるというか心臓を高鳴らせ不快感を消し去りつつも、聞き捨てならない言葉に反応する。
「心臓が持たない…死ぬのか?」
手紙とはそんな攻撃性を持つものなのだろうかと、ただの文字の書かれた紙に首を傾げる。
もしそれが花崎を死に追いやるなら取り上げるべきだろうか。
野呂と井上に教わって実行した方法だが、失敗だったのかもしれない。
だが、花崎は見ている限り死にそうには見えない。
じっと見ていると、花崎は手紙に顔を埋めてしまい、丸まっていく。
マシュマロの時にもこうなった。
あの時は、後悔だっただろうか。
いや、それは花崎に違うと否定された。
では理由は何なのか。
そういえばあの時丸まった謎は解けていなかった。
またこうして丸まったということは意味があるのだろう。
「死にそうに……嬉しい」
丸まった花崎からようやく聞こえてきた声はそれ。
喜んでいるらしいと知って小林は少し安心する。
しかし嬉しいのに死にそうとはどういうことか。
嬉しいならいいことじゃないかと思うのだが、死なれては困る。
やはり取り上げるべきか。
「死ぬんなら返せ」
「やだ」
「お前に死なれたら困るんだから返せ」
「やだ」
やだの一点張りで花崎は動く気配がない。
これ以上近づけば靄の攻撃対象になってしまうため無理に取り上げるわけにもいかず、小林は苛立ちが募っていく。
「小林、放っておいても花崎は死なない。今はそっとしておいてやれ」
恥ずかしさと嬉しさで思考が死んでしまっている花崎に代わり、仕方ないとばかりに井上が助け舟を出す。
「死なないのか?」
「死ぬわけないじゃーん。ゾウリムシ脳がドーパミンとアドレナリンとセロトニンを大量放出ってるだけでしょー」
寿命にどう影響するかはわからないが、今すぐ死ぬことはない。
「どーぱ? せろ…?」
アドレナリンは野呂からよく聞く単語だが、他にも知らない単語を投げられ小林は困惑する。
「つまり、とても喜んでいるだけだ」
あまりに困惑しているので井上が端的に説明した。
「喜んでるっていうか、浮かれてるって感じだけどねー」
「そうなのか?」
よくわからないが、野呂と井上が言うならそうなのだろうと小林は判断する。
死なないし、喜んでいるのならまあいいかと、井上に言われた通りそっとしておくことにした。
自分の渡した、小林の想いの塊ともいえる手紙を絶対返さないと抱き込み、喜びを感じている姿だというなら、この丸まった姿はなんと愛らしいことか。
幸せな気持ちで小林は花崎を見守り続けた。
その後、暫くの間は花崎が小林を見ると真っ赤になって、座ってもソファぎりぎりまで間を開けるようになった。
だが同じソファには座るのだから世話がない。
そんな花崎を見る度に、僅かとは言え距離を置かれているのに愛や喜びが込み上げて小林は表情を緩める。
先日までと立場が逆転していた。
「解決したと思ったらそうなるのか!?」
そんな二人を見て、井上が再び頭を抱えた。
「いのうえー、胃腸にいい漢方とか信用できる漢方薬局教えてあげようかー?」
このままでは本当に井上が頭どころか胃にダメージを受ける日も遠くないかも知れないと野呂はそんな気遣いをするのであった。

拍手

PR