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19 May

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31 January

月が照らす世界

夜の闇を照らすのは月




することがない。

なんて、意識したのは初めてだった。
花崎と出会う前。
死ぬ方法と食べ物を探し歩いている以外、寝るか、何もしないだけの日常だった。
することがないのは当たり前だった。
だから意識すらしなかった。
なのに、何故か手持無沙汰だ。
小林は困惑する。
暇を持て余す、というのが初めての経験で、何をしていいのか分からないのだ。
目は冴えているので寝るという選択肢はない。
腹も、先程食べたばかりで満たされている。
次の食料を探しに行かなくても事務所にいれば何かあるし、今の小林には収入もあるので外に出ても自販機があれば購入することも可能だ。
なのでその行動もする必要がない。
花崎も井上も学校で、ピッポも今日は事務所にはいない。
だから仕事もない。
することがないなら、出かけてみるかと思った。
小林は気づかなかったが、これも初めての思い付きだ。
少年探偵団に来る前の小林は、理由無くうろつくのは好きではなかった。
何時、人との接触があるか分からないからだ。
食料探しは仕方ないにしても、死ぬ方法を探し歩くのも基本夜だった。
それが、昼間から歩いてみようという気になったのだ。
勿論人混みに行く気もないし、流石にそれは危険すぎると理解している。
それでも、小林は出かけるのを止めようとは思わなかった。

漸く慣れてきた靴を履いて、外に出る。
最近は瑠璃野学園のように通信制度を設ける学校も多く、平日の昼間に小林くらいの年齢の子供が出歩いていても補導されたりはしない。
そういえば、花崎を追い回していたときも昼間に一人で出歩いたなと思い出した。
あの時は花崎に会うという明確な目的があったが、今回はそれも無い。
何もなければついでに花崎の学校に行くのもありかもしれないと考えつつ、小林はただ歩く。

歩いてみて気づいた。
通ったことがある場所。
見たことがある場所。
入ったことがある場所。
どれも認識するたびに、花崎の影がちらつく。
花崎と歩くより前から知っていた筈の道。
どこをどう行けばいいのか、どう行くと行き止まりにぶつかってしまうのか。
情報としては蓄積されていたが、全く意識していなかった。
小林の記憶は、花崎で作られていた。
どうせ死ぬのだから全てを要らないと、記憶を失ってからの記憶すら捨てていた小林が、ただ生きているだけの日々を覚え始めたのは花崎との出会いからだった。

追いかけられた。
一緒に歩いた。
追いかけた。
状況は違えど、花崎がいた。
何故そればかりが鮮明に思い出せるのか。
気になったので、最初に花崎と出会ったあのビルへ行こうと思った。

階段を登る。
いつもは何も考えていなかったが、目指す場所があると少し遠く感じる。
それでも、足を止めずに登り続ける。
広場になっている場所にたどり着いた。
花崎と初めて会った場所だ。
血痕がある。
小林が命を奪った犬のものだ。
枯れた花がある。
小林が供えたものだ。
どこで得た知識なのかはわからなかったけど、死には花を手向けるものだというのは知っていた。
何度か新しいものを置きに来たことがあるが、花崎が弔った墓があるというので最近ではそちらに花を供えることにしている。

別の血痕がある。
小林自身のものだ。
花崎を庇った時に流れたもの。
直前までは弾を弾いていた。
だからこれは、花崎がいたから死にたいと思わなかった証。
残念ながら傷は靄の力を借りて痕すら残さず消えてしまったが。
あのまま死んだら、花崎の中に残り続けられただろうが、それは傷としてだろうから、死なずに済んだのは良かったのだろうが。
花崎を傷つけたいわけではないのだから。
怪我や痛みを負う度、その傍には花崎の姿があった。
否、傍にいなくても花崎の影があった。
何年も死ぬ方法を探し続けても傷一つ負うことは無かったのに、花崎と出会ってすぐに傷が出来た。
消えていく傷と反するように、その時の記憶は鮮明に残る。
花崎が、小林の心に世界を定着させていく。
屋上に着いた。
いつも使っていた観覧車はない。
当然だ。
花崎の思い付きで明智探偵事務所の屋上に移動されたのだから。
「何もないな」
長く住みついてはいたが、もともと寝床として使っていただけだ。
それすらなければ記憶に残るものなどない。
「降りるか」
態々上ってきたが、特に用もないので小林は飛び降りようと縁まで歩く。
そういえば、ここから飛び降りて、死ねず、花崎に引き上げられたこともあったなと思い出す。
久々に飛び降りて、しかし特に感動はない。
地に着いて、見上げればあるのは青い空。
いつもそうだったはずなのに、自分を見下ろす姿がないのは酷く殺風景に感じる。
煩い声も聞こえない。
静かでいい。
その筈なのに何故か物足りない。

腹が鳴った。
外に出て探し歩けば、あの日壊した自動販売機は修理されたのか、同じものがそこにあった。
何となく小林は手掴みしようとして笑われた過去を思い出し、うどんを買う。
あの日とは違って今は箸を使えるので完食することが出来た。

腹が満たされたので再び歩き出す。
だが、一人で無駄に歩き回った所為か、眠気が襲ってきた。
今の小林は寝られる場所が増えた。
たぶん、気を抜いても許されることを知ったからだ。
観覧車は、小林の覚えていない記憶にある、甘えが許される柔らかい場所だった。
それと同時に、高層廃ビルの屋上という、余程のことがなければ他人が訪れない、誰かを傷つける心配をする必要がない場所だった。
花崎と出会ってから、その唯一だったはずの場所は、それ程必要なくなった。
当たり前すら許されなかった小林に、当たり前を許し、安心できる場所が与えられたからだ。
小林の力を知り無暗に近づいてこず、逃げるでもなく、一定距離を保つことで小林の存在が拒否されない場所を。
花崎の性質の所為か、花崎の生活圏で、花崎が来ると思う場所で、小林は気を抜いてしまうのだ。
そして今ならどこで寝ても、花崎が帰ってきたとき事務所に小林がいなければ、連絡を入れるなりGPSを使って探しに来るなりするだろう。
放っておかれるとは、小林は考えもつかない。
ならばと小林は歩き出した。
事務所より近い、昼寝に適した場所があるからだ。
もう少し他の場所も歩いてみたい気もしたが、眠いのだから仕方がない。
それにどうせまた、井上の指示で花崎と一緒にあちこち走りまわされることになるのだ。
その時にまた通ることになるだろう。

来たのは瑠璃野学園だ。
最初の予定通りといってもいい。
目的は寝ることだが。
花崎が知っている場所で寝れば態々探されることもない。
何度か来ているうちに顔見知り程度にはなった警備に、不審な目を向けられることなく横を抜け中に入る。
幾度か通る時に勝田や井上と同行したこともあったので、その二人の信頼がそのまま小林への信用に繋がっていた。
授業中なのか、校舎は全体的に静かだ。
すれ違う生徒がいないことに安堵を覚えながら、目指す場所は決まっている。
小林が寝られる場所だ。
つまり、科学実験部が部室として使っているあの部屋だ。
あそこは授業で使われない限り、滅多に少年探偵団のメンバー以外来ることはないらしい。
ならば見知らぬ他人に遭遇する可能性は限りなく低いだろうと小林は考えたのだ。
他に知っている場所がないというのもあるが。

ドアを開ければ、いつ授業に出ているのか謎な大友がいた。
「あーれぇー? どうしたのー? 花崎に引っ張られるでも荷物引き取りに来るでもないのに来るなんて珍しいんじゃなーい?」
「別に。暇だったから散歩してて眠くなっただけだ」
小林の言葉に何をしに来たのか理解して大友は肩を竦める。
「ここはお昼寝場所じゃないんだけどねえ…」
「いいから寝かせろ」
「はいはい。俺は気にしないから好きに寝ればー?」
「ん」
一応大友の許可も得たので、小林は奥に進んで部屋の隅の床に横になる。
「あ、そーだ。あのさー……」
大友が何かを言おうとしたが、気怠さから無視して目を閉じれば、直ぐに眠りに落ちた。
「大友! 事件て何!?」
ドアが開くと同時に聞こえた花崎の声に意識が浮上する。
だがまだ眠いし、花崎もこの場にいるのだし、起きる必要を感じられない。
なのでそのまま寝直すことにする。
「やーっときた。遅いよー」
「しゃーねーじゃん。授業中だったんだから。俺だってソッコー来たかったけどさー!! で、事件て何!?」
大友と花崎が会話をしているのはわかる。
「あーれ」
「あれって……小林?」
おそらく寝ている自分を示されたのだろうと小林は理解した。
けれどやはり意識はどんどん霞がかっていく。
近づいて来る気配がある。
「なんで小林がここにいんの?」
すぐ近くで覗き込まれた。
そして再び大友に質問をしている。
寝ていると思っているからか、小林に直接は聞いてこない。
「散歩の途中で眠くなったから寝に来たんだって」
「ふーん」
「俺今日は夕方には帰るつもりだから、それまでに何とかしてねー」
科学実験部部長である大友が居なければ、当然部室として使われているこの部屋にも鍵がかかる。
昼間は他の部員や少年探偵団が出入りしやすいように鍵は開けているが、意外ととんでもない発明品の試作などを置いていたりもするので、帰りは施錠している。
「俺夜まで授業だしなあ…それじゃあ帰りに起こして連れて帰るって訳にもいかねーかぁ」
少し悩むようにして、花崎は再び顔を小林に寄せた。
「こーばーやーしー! 起きろー!!」
大きめに声がかけられたので、小林は仕方なく起きることにする。
「………花崎か」
今まで声を聞いていたのだから花崎であることは解っていたが、実際目にすることで再認識する。
事務所で寝ることも少なくない小林は、起きたら花崎が目の前にいるという光景は馴染みのあるものだった。
なので返事はしたしと、小林はまた寝ようとする。
「いや、花崎か、じゃなくて! 起きろって!!」
「……んだよ」
「夕方には大友帰っちゃうらしいから、小林はその前に部屋出ないと駄目なんだって」
「まだ夕方じゃねえだろ」
「夕方になって小林が起きてなかったらどうにもできねーじゃん」
「ならほっとけよ」
「いや、だからそれじゃ駄目だって。大友鍵かけるって言ってるし」
別に鍵がかかっていたって出られる、と小林は思うのだが、恐らく井上のお小言が確実にある。
それに付き合う手間を考えれば、部屋を出た方がマシかも知れないと小林は身を起こす。
「ならどこならいいんだよ」
「………事務所帰る?」
少し考える素振りをした花崎が、そう呟いた。
それが一番正しい判断なんだろう。
「……寝る」
だが、眠い状況で花崎が一緒に帰るでもないのに、帰るという選択肢は小林にはない。
「まてまて小林! えーと…屋上とか!」
屋上は珍しく施錠されておらず誰にでも出ることは可能だが、現在は寒い季節ということもあって滅多に出る人間はいない。
更にその入り口の上にワイヤーを使って登れば、まず人が来ないだろう。
小林ならば寒さを気にする必要はない。
「そこなら寝てていいんだな?」
「うん。そしたら帰りに俺声掛けるし。もし途中で起きて先帰るならメール入れといて」
「帰らねーから、ぜってー声掛けろ」
「え、でも遅くなるよ? 俺今日仕事もねーから事務所にもいかねーし、一緒に行動する意味もねーんだから自由にしていいんだぞ?」
「僕がそれでいいんだから、いいんだ」
「退屈じゃない?」
「退屈なんするかよ。それなら寝てりゃいいだからな」
実際は、退屈で事務所を出て散歩をしていたのだが、花崎を待つという目的があれば小林は退屈を感じることはない。
「確かに小林よく寝るもんなー。え、あれ退屈だったからなの?」
「眠いからだ」
だが、花崎の質問に小林は即答でそう返した。
花崎がいるのに退屈を感じるはずがない。
退屈を感じるより先に面倒臭いと思う程に花崎が何かしら話題や遊びを振ってくるのだから。
だから、花崎がいて寝ているとしたら、それは本当に眠い時ということになる。
あまりに即答だったので花崎に疑う余地はなかったようだ。
もとより小林は素直なので、疑うこともそうないが。
ならよかった。と笑って、その正直な小林が待つというならそうさせるのが良いのだろうと思うことにした。
「じゃあ、今日は晩飯一緒に食おうぜ! 腹減るかもしれねーけど我慢な?」
花崎の授業が終わるのが夜の8時だ。
それから帰って食べ始めるにしても遅いといっていいだろう。
学校の食堂は一応使えはするのだが、花崎の休憩時間では流石に食事するには足りない。
山根に付き添いを頼めればいいのだが、この場におらず、大友が鍵をかけて帰るということは、何かしらの用事があって顔を出すことができないと考えていいだろう。
「分かった」
小林が頷いたところで予鈴が鳴る。
「げっ! 大友、小林屋上に連れてってあげて!! 小林はまた後でな!!」
焦って花崎は来たとき同様慌ただしく去っていった。
あまりに慌ただしく、一言いう隙も与えられなかった大友は肩を竦めて小林を振り返る。
「じゃあ行こうか」
「ああ」
声をかければ、小林は素直に従った。
大友は本当に小林を屋上に案内するだけしてあっさり去っていった。
屋上というのはビルでも学校でも大して変わらない。
下にいるより空が広い。
昔は、何にも邪魔されずに見える広い空が好きだった。
靄という狭い世界の中で生きていて、唯一何にも邪魔されない広い世界だった。
それに、空が青ければ雨が降って寝床に雨漏りすることもなかった。
何より、澄み切ったその色は嫌いじゃなかった。
「そういやあいつは青いまま濡らすな……」
意外と涙腺の緩い花崎は、小林にはよく分からないことで涙を落とす。
あまり見ていて嬉しい顔ではない。
でも、死にたいと言ったあの時のような泣き方はしていないので、少しだけ安心している。
それよりも、失敗しても落ち込んでいる時間がもったいないと言ったお前はどこに行ったのだと思う程に、失敗する度に悔やむ方が問題だ。
悔やむというか、どこか恐れている気がする。
失敗したら挽回すればいい。
だというのに、挽回などできないと思っているようにみえる。
小林が入団当初「最初は誰でも失敗する」と言っていたのだから、失敗は良くないにしても取り戻せないものでもないと、花崎だって認識していた筈なのだ。
何故変わってしまったのかが、小林には分からない。
だから花崎を近くで見ている必要があると思った。
見ていれば分かるようになるかもしれないからだ。
分かるようになれば、何とかできるかもしれないからだ。
何より勝手にどこかに行かれても追いかけられる。
失う訳にも、離れる訳にもいかない。
何故なら、花崎は小林が初めて得た安心して生きられる〝世界〟なのだ。

小林の存在が何かの証明になることもない。
死ぬしかない。
そう、死ぬしかないと思っていた。
記憶の一部を取り戻せば、どうやらこれは父親の言葉だったらしかった。
それでも不要な存在が、面倒だと思いながら生きていたって意味が無と自身でも思っていた。
ただ生きているだけ。
否、生きているのではなく死ねないだけ。
時には周囲を壊して傷つけて恐れられ、存在を否定され、それでも死ぬことは許されなかった。
小林にとっては、世界とは小林の望みは何一つ叶えられない場所だった。

それが変わったのは花崎に出会ってからだ。
死ねないのではなく生きていても良いと思える、それを否定されない、時々楽しいとすら思ってしまう、そんな人間らしい感情すら持つことを許される、世界をそんな居場所に変えたのは花崎だった。
井上が、虚無の過去を持つ小林に気を使いながらも、依存し過ぎはいけないと言った。
小林が花崎を大切にするのは、友情や仲間意識も勿論あるのだろうが、執着というより依存しているからではないかと心配していたのだ。
依存とはどういう意味かと聞いたら、対象がいなくては生きていけなくなる可能性があるのだと言われた。
独りで立つことすら出来なくなる危険性があると。
成程、ならば確かに小林のそれは依存なのだろうと思った。
小林は花崎という世界がなければ、小林芳雄として生きていけない。
花崎が失われれば、死ねない化け物に戻るだけ。
否、花崎が殺してくれるのだから、もう化け物になることもない。
小林が生きている限り花崎はいるし、花崎がいなくなる時には自分もいなくなる。
それだけだ。
依存であろうとなかろうと、終わりは同時に来るのだから関係ない。
そもそも人間は、居場所を守ろうとするものだという。
ならば小林が花崎を守るのは実に人間らしい行動であろう。

小林が見ている青に、別の色が混ざり始めた。
寝ようとしていた筈なのに、うっかり花崎の事を考えたばかりに起きたまま時間が経っていた。
朱金色に染まった空は、青をかき消してしまったけれど、それはそれで不快には思わなかった。
最初に花崎に出会ったのは犬がまだ生きていたときだった。
けれど、小林に強く焼き付いたのはビルに映った金色の夕日を背負って飛び降りた花崎だった。
まさかそんな方法で、自分等を追ってくる人間がいるとは思っていなかったというのも勿論ある。
それでも、あの瞬間、小林は花崎から目が離せなかった。
嫌悪でも蔑みでも恐怖でもなく、まっすぐに向けられた瞳。
夕日を混ぜたあの時の色だ。
空を見てすら、思い出すのは花崎だ。
やはり、小林を世界に定着させ、小林に世界の彩を見せるのは花崎なのだ。
ここで待っていれば、夜には花崎が迎えに来る。
そうしたら食事にありつける。
花崎と一緒に食べるのは、独り占めするより量は減るのに何故かずっと美味しく感じる。
だから待つ。
今は多少空腹でも、次があるのが分かっているからか、靄は無理矢理に詰め込もうとはしてこない。
空は、濃紺へと色を変え、いくつもの星が瞬き始める。
そうしているうちに、東の空から月が昇り始めた。
星よりも明るく大きなそれは、うっかり星の存在を忘れそうになる。
紺色の空において、自身の周りを青に染める。
花崎のようだと思った。
最初は直視するのすら眩しい太陽だと思っていたが、こうして月を見ると、花崎は月なのだと認識する。
闇夜を照らす明るさ。
周囲をその身の明るさ照らすことが出来る。
その他大勢の星の輝きを弱め自身に目を引き寄せるが、それでも決して星々の存在を消し去ることはない優しい明るさ。
それでいて、太陽がすべてを飲み込む昼間の空においても失われない存在感。
そういえば月は満ち欠けするものだ。
だとしたら、花崎の様子が変わった気がするのも仕方がないのかもしれない。
花崎ならば、そのうちまた満月に戻るだろう。
そんなことを考えながら月がゆっくりと昇っていくのを見る。
まだ満月ではない。
それでも大分膨らんだそれは明るくて眩しい、けれど直視できないほどではない。
花崎も、早く満月になればいいのに、と思いながらただぼんやりと月を眺め続けた。
「こーばやしー」
ドアが開くと同時に聞こえた声に、小林は身を起こす。
「あ、起きてた?」
「まあな」
答えて、小林はそのまま飛び降りた。
たった数メートルなので靄を使うまでもないが、相変わらず靄は勝手に小林に衝撃が無い様に着地させる。
「綺麗に降りんなー」
花崎は以前のような背中からではなく足からの、音の立たないふわりとした着地に目を輝かせた。
まあ、花崎が喜んだならそれはそれでよいと小林は思う。
相変わらず花崎はこの力が好きらしい。
おかげで小林は無くなればいいと思っていたこの力を疎んじなくなる処か、無くさずに制御できるようにならないかと考えるようになってしまった。
二十面相が制御がどうとか言っていたので、実はできるのではないかと小林は考えてもいる。
ただしその方法は未だに見当もつかない。
花崎に出会うまであった膨大な時間を、死ぬことではなくて制御することに意識を割いておけばよかったと思いもするが、今更である。
これは追々の課題として、とりあえずは目の前の必要案件だと、小林は花崎に向き直る。
「ジュギョーは終わったんだな?」
「おう!」
「ならさっさと飯食いに行くぞ」
「だな!」
小林の言葉に、花崎も「腹減ったなー」と頷いて踵を返した。
その半歩後ろに続いて小林も歩きだす。
隣でもいいが、こちらの方がうっかり花崎が靄にぶつかる危険性が減るし、なにより目にした情報から突然動き出す花崎を追いかけるのには、少し後ろの良く見える位置の方が良いのだ。
それに、この位置ならば花崎は定期的に小林を確認するように振り返る。
小林を気に留めていると分かるので、この位置は嫌いではなかった。
今も、目線を小林に送りながら問いかけてくる。
「よく眠れた?」
「空見てた」
「あー。小林空色好きだって言ってたもんなー! って、もう夜だけど」
好きな色を問われて小林が示した空の色とは、もう異なっている。
「それとも小林って昼夜問わず空が好きなの? あれ、でも鼠色はそんなに好きじゃなかったよな?」
制服は変な色と言い、曇りや雨はあまり好きでは無さそうだったので花崎は首を傾げる。
「晴れた日の空の色なら昼でも夜でも好きってこと?」
「べつに。ただ…月があった」
「あ、もしかして美味そうとか思った?」
満月が主だが月は時折食べ物に例えられることがあるので、閃いたとばかりに花崎が言えば、小林は舌打ちを返した。
「違うのかよー」
「違う。つーかお前、僕の考えることは全部食べ物だと思ってねーか?」
「え、違うの!?」
不服そうに小林が言えば、直前と同じような言葉なのに、今度は心底驚いたというように言われてしまった。
「僕を何だと思ってんだ!?」
小林は食べるのが好きなのは認める。
井上や山根を見ていても恐らく自分はよく食べる方なのだろうということも自覚している。
だが、満腹になればそれ以上食べたりもしない。
あくまで必要量しか食べることはない。
「食欲大魔神!!」
だが花崎にはそう言い切られてしまった。
残念なことに、否定するより先に小林の腹が鳴る。
途端、花崎が吹き出した。
小林は面白くないので舌打ちをして、花崎を急かすように今度は自分が前に出るように歩調を速めた。
慌てて花崎が追いかけてくる。
しかし、まあ、食べ物の事でなければ何を考えていたのかと聞かれることがなかったのは良かったかも知れないと小林は思うことにした。
聞かれれば「花崎の事」と答えるのは別に構わないが、次は花崎に伴うどのようなことを考えていたのかを訊かれるのは目に見えている。
それを一々説明してやる気はないし、問われるだけでしつこく面倒くさいであろうことは容易に想像がついた。
「お、確かに明るい月だなー」
外に出て、改めて月を認識した花崎が声を上げる。
月明かりのおかげで花崎の笑う表情まで見える。
「そうだな」
小林は改めて月を見て、これからきっと月も意識に留めるようになるのだろうなと思った。
またひとつ、小林の世界が広がった。
けれどやはり小林の世界は花崎でできているのだとも再認識した。
花崎が変わろうと、世界が変わろうと、きっとこれからもそれは変わることはないのだろう。
それが、小林がこの世界で生きているということなのだから。
それは面白くもなく、つまらなくもない。
ただの純然たる事実でしかない。
だから、小林はそれを認識しても意識しない。
呼吸に空気が必要なのと同じようなものだからだ。
今回は少し、深呼吸をして敢えて意識をしたようなものだ。
明日からはきっとまた考えることもしないだろう。
「何食うんだ?」
だから、いつもの様に気になった事柄を口にした。
「何にしようかなー! ガッツリしたもん食いてーなー」
「肉か!?」
ガッツリしたもの、と言われて小林の脳裏に浮かんだのは肉だ。
前に花崎が同じセリフを言って肉を食べたことがあるからだ。
「肉もいいなー。唐揚げとかとんかつとか。小林は何が食べたい?」
「生ハムメロン」
明智から勝ち取ったもので、小林が食べたことのある肉の中で一番美味しい肉だった。
「それメインメロンじゃん! じゃぜってー足んねーって!!」
「ならなんならいいんだよ」
確かに肉の部分は少ないが、否定するなら何故聞いたのかと小林は不満だ。
足りないならたくさん食べればいいではないかと思うのだ。
「んー…そうだなあ……」
花崎は考えながらも足を進めている。
「早く決めろよ」
小林もそれに続いて歩く。
花崎は何を食べるのか考えるのに必死で、小林と会話をしようとしない。
「どうせなら小林が食ったことねーもんとかがいいなあ」
だが、小林のことはずっと意識している。
それに、きちんと時々小林の様子を目線で確認してくる。
だから小林は不快に思うこともなく、月明かりが照らす道をただ花崎について歩き続けた。




あとがき
太陽だと思ったら月だった系ヒロイン花崎健介
を主張する話を書きたいと思い続けること数か月。
やっとそんな感じの話が書けた気がします。
最初太陽のように出てきましたが、花崎は厄介なのを引き寄せやすいので、昼間の太陽より実は夜の月なのかと。
昼間の世界に生きている人間より、夜のように影や闇がある人間にこそ明るく目を引く存在といいますか。
それでもって月の光が太陽の反射だとしたら、
今まで明智君とか晴兄の存在が太陽だったと思うのですが
何れ小林がそうなってくれたらいいなあとも思います。
たぶん既になりかけているような。
小林が花崎を照らして、花崎が小林の世界を照らす。
良い循環です。二人で世界が完結できそうです。
花崎は気象が変動する空のような気もしますけど
どの道小林が太陽なら問題ないでしょう!!
雲が晴れれば太陽と青空はセットですから!
いかんまた話がずれてしまう。
皆様、月ですよ!
月の女神(違)花崎健介を宜しくお願い致します!!
あとがきにまでお付き合いありがとうございました!

拍手

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