出てきたものの、花崎は深く悩む。
「デートっつっても何すりゃいいんだろうな?」
ということだ。
浮気調査での尾行は当てにならない。
だいたい車かホテルか相手の家だからだ。
「僕が知るわけねーだろ」
「だよなー」
頭の後ろで腕を組んで、何かないかと考えるが、全く思いつかない。
「とりあえず飯食うか」
朝沢山食べようと、まだ育ちざかりな上によく動く二人は昼が近づけばお腹も空く。
食べながら考えればいい、と、まずはデートは関係なしに腹を満たすことにした。
「ああ」
頷いて、歩き出した小林が、しかしいつものように花崎に追いつかない。
「どった?」
花崎は基本的に平常時は小林の歩速に合わせているので直ぐに気づいて振り返る。
小林は自分の足元を見た。
「歩きにくい」
靴自体に慣れていないのに、更にそれほど高く無く細くもないとはいえ慣れないヒールがある。
しかもデザイン性重視で重みもある。
平地はまだしも階段や坂になると難易度が上がり、小林の歩みが遅くなる。
面倒臭さに舌打ちまでした小林に、花崎は苦笑して手を差し出す。
「ごめんなー。窮屈な格好させて。ほら、掴まっていいから」
「別に…引き受けたのは僕だ」
その手に掴まりながら、少し気恥ずかしいのか視線を逸らす小林。
「そっか」
「そうだ」
花崎は小林の返事に少しだけ嬉しそうに表情を緩めた。
飲食店が多く立ち並ぶ渋谷駅付近まで出てきたものの、逆に多すぎて花崎は決めかねていた。
「うーん、何がいいかなー」
まさかここにきてデートの件以外で悩むことになるとは思わなかった。
態々外に出てきたのだから、せっかくなら美味しいものがいい。
小林は基本何でも食べるが、ハンバーガーやピザなどしっかり味付けされた食べ物を好む傾向がある。
そういえば焼きそばも食べていたことを思い出す。
「お好み焼き?」
たこ焼きは下手をすると火傷をしてしまう熱量を持っているので小林にはまだ早いだろうがお好み焼きならいける気がする。
味もソース味だから問題ないだろう。
と、考えたところで花崎の言葉に反応して頭上から声が振ってきた。
「きゃーっか! 却下却下!」
とんでもないと叫ぶ野呂。
「何でだよ野呂」
何故そこまで怒られるのかが分からず花崎は首を傾げる。
「アンタは今、こばちんであってこばちんでない女の子とデートしてんの! わかってる!?」
「僕は僕だぞ?」
「そうだよ野呂、結局小林じゃん」
ピッポの向こうからキーという叫び声が聞こえる。
「あー! もう!! この男どもはー!! 女子にも人気ってる、美味しくってぇーボリューミーなサンドイッチのお店教えてあげるから、せめてそこ!!」
「別にそれでもいーけどよー」
サンドイッチかーと、あまり満足感を味わえなさそうだなと花崎は乗り気ではない。
「食べたら野呂ちんに感謝したくなるんだから」
「へー! じゃあいこうぜ小林! 野呂、店どっち?」
だが野呂の食情報は当てになるので、花崎は素直に従うことにした。
「ピッポちゃんに付いてきてー」
そう促されて歩くこと数分。
見えた店に、花崎は少し面倒になった。
「並んでんじゃん」
平日だというのに数人とはいえ列ができているのだ。
「お持ち帰りの方はすぐに順番回ってくるから問題なーし」
「んじゃいっか。いくぞ小林!」
「ああ」
手を引かれるままに小林も素直に付いて歩き出した。
列に加われば、メニュー表を渡される。
「おお! 確かにうっまそー!」
並んでいる間に注文を決められるようにとの配慮だ。
それを見て花崎は声を上げた。
野菜が盛りだくさんのサンドイッチから玉子や肉などをメインに据えた物までさまざまだ。
しかもオリジナルで自分の好きな具材だけを選ぶことも出来る。
「あ。花崎! 1日20個限定のスペシャルサンドがあったら野呂ちんの分も買ってきて」
「へいへい」
花崎が頷くと、飲食店なのでそれ以上列が動く前にピッポは店の屋根まで飛んでいった。
「小林は何にする?」
と、メニューを差し出されて見るが、小林にはどれがいいのか分からない。
「どれがうまいんだ?」
「うーん、どれもうまいとは思うけど、小林だとこのビーフ辺りじゃねーかな?」
厚みのあるビーフがぎっしりと挟まっている写真を指す。
「ならそれにする」
確かに気になる見た目なので小林頷いた。
「ンじゃ小林はビーフな。俺はこっちのチキンにすっかなー。小林は一個じゃ心配だから念のためベーコンエッグもいっとくか? こっちは野菜もいっぱい入ってるしな」
「ああ」
よくわからない小林は、量が増えるならなんでもいいと頷いた。
購入して店を出る。
「おーい、野呂ー。買ったぞー」
袋を見せれば、ピッポが降りてきて花崎の肩に止まった。
花崎の口笛に合わせて再度羽ばたくと、手を離した瞬間に起用に袋を掴みそのまま上昇する。
相変わらず頭が良くて器用な梟である。
「じゃあ二人は代々木公園に行っててー。ピッポちゃんはサンドイッチ持ってゴーホーム!」
「代々木公園指定かよ。宮下公園じゃダメなのかよ?」
遠いとは言わないが近いとも言えない距離だ。
さっさと食べたいのだが、その声を拾ってくれるピッポは既に遠い。
「仕方ねーな。いくか」
「ん」
先程の延長認識なのか、自然に花崎の手を握れば、花崎も気にすることなく握り返して歩き出した。
周囲から可愛いカップルだと認識されたことなど気づかないまま。
ようやく代々木公園にたどり着き、ベンチに腰を下ろす。
「んじゃ食うか」
「早くしろ」
そういうと早速袋に伸ばされる手を避けるように袋を遠ざける。
「なんだよ」
ムスッとする小林に花崎は思わず笑ってしまう。
「まずは手を拭いてからな」
袋に入っていたお手拭きを渡されて、小林は素直に手を拭くと、拭いたのだからもういいだろうとばかりに花崎に再び手を伸ばす。
同じように手を拭いていた花崎は苦笑して、急いで手を拭き終えると袋からサンドイッチを取り出して小林に渡した。
「おお」
ボリュームたっぷりなサンドイッチの実物を見て小林が感嘆の声をもらす。
しかし食欲の方が勝る小林は、直ぐに齧り付いいた。
「うまい?」
「ん」
口に大量に含んでいるので開けることができない小林は、一つの音と首の動きで肯定する。
「そりゃよかった。こういうのは流石野呂だよなー」
笑いながら、花崎は飲み物のカップを小林の横に置く。
「もっと褒めてもいいんだよー?」
頭上から聞こえた声に反応して上を向けば、梟が羽ばたいていた。
「お、おかえりピッポちゃん」
声をかければ、ピッポは木の枝に止まり一鳴きした。
花崎も包みを解いてサンドイッチを口に運ぶ。
「確かに美味いし、食べやすくていいなこれ」
「でっしょー! もっと感謝してもいいんだよー」
「偉い偉い。ありがとうな」
「ちょっとー! 褒め方雑ってない!?」
「雑ってないって」
そんな会話をしている横で、小林は既に一つ目を食べ終わろうとしていた。
「小林、もうちょっとよく噛んで食えって。喉に詰まらせても知らねーぞー」
「んんんんんーん」
花崎の言葉に反論しようとしたらしいのだが、口いっぱいに頬張っているため言葉になっていない。
「何言ってんのか分かんねーよ」
笑って、花崎はもうひとつが入った袋を小林に渡した。
「ほら、もう一個」
まだ口の中に溜め込んでいる小林は顔の動きで頷気ながら袋を受け取り、もう片方の手でドリンクを掴んだ。
口の中身がなくなったタイミングで音を立てて一気に飲み込む。
「お前、本当に豪快に食うよな」
「そうか?」
「かなり」
「ふーん」
そうなのか、と一つ新しく知りえたが、別にそれをどうとは思わないので軽く返事だけをして次の食料に取り掛かった。
一つ食べて少しは落ち着いたのか、今度は先程よりは落ち着いて包みを開ける。
「これもうまい」
今度は肉だけでなく野菜もぎっしり入っているが、シャキシャキとした歯応えと肉のタレが絡んでこれはこれで美味しいと小林は思った。
「これも食ってみる?」
野菜たっぷりでも美味しいと思うならばと花崎が差し出せば、小林は受け取るのではなくそのまま大きく口を開けて齧り付く。
病気で介護された時でもなければ、人の手から食べることもなければ食べさせたこともない花崎は、その行動に少し驚いたものの、まあ小林だしと気にしないことにした。
「うまい?」
「ああ」
頷いて、自分は今花崎のものを分けてもらったのだから、同じようにすべきだろうと判断して小林は手にしたそれを差し出す。
「ん」
「え、いいよ」
確かに花崎はよく動き回る上に、鍛えられた身体は同年代に比べてエネルギー消費量が大きく、かなり食べる自信はあるが、他人の食べ物に手を出すほど食に執着はない。
だが、更に押し出すように更に近づけられる。
「いいから食え」
いっそ睨むように言われてしまえば、花崎は断れない。
「サンキュ」
差し出してはいるものの手放す気はないらしいので、小林に習って直接口を付ける為に身を屈めた。
髪が掛からないように押さえながら、差し出されたそれに齧り付く。
普段より近づいてきた顔と、さらりと揺れる髪に、小林の胸が跳ねた。
「うん、これも美味いな」
数度咀嚼して飲み込んだ花崎が笑いながら小林を見ると、何故か不思議そうな表情で胸の辺りを抑えていた。
「小林?」
どうかしたのか? と、花崎が問えば、首を捻って、特に思い当たることは何もなく。
「別に」
たどり着いた答えをそのまま口にして、再び手にしたそれを食べようとして、ピタリと動きを止める。
これは先程花崎が口を付けたものだと思うと、何故か食べるのが躊躇われた。
再び胸の辺りが騒がしくなっていく。
ちらりと横目で花崎を見れば、小林が口をつけたものを気にせず食べている。
途端、ムカツキの方が強くなり、小林は躊躇いなく大口で食らいついた。
「いい感じでデートってんじゃん。 写真もばっちり取れてるよー」
くるくると旋回しながら飛ぶピッポから聞こえる楽しそうな声に小林は首を傾げる。
「デートしてたのか?」
「ただ飯食ってただけだよな?」
小林の問いに、しかし同じように花崎も首を傾げた。
「無自覚こっわ!」
野呂の叫びは、しかし残念なことに誰にも届かなかった。
代々木公園は平日だというのにそれでも人がそれなりにいる。
カップルもそれなりにいる。
特に芝生エリアでは特に仲の良さげな様子がよくみられる気がする。
そんな恋人たちを遠目で観察しつつ、恋人らしい行動を模索する。
「あれとかそれっぽいか?」
「知らねー」
花崎はそれなりに真面目…面白半分ではあるが真面目に恋人観察をしているのに対し、小林は全く興味がないと欠伸までする始末だ。
「眠ぃ…」
「あ、じゃあれやってみる?」
花崎はちょうど良さそうなカップルを見かけて提案する。
示された方に小林が顔を向ければ、男女の片割れは横になっていた。
なるほど、任務も実行できて眠れるなら悪くないと小林は頷いた。
「んじゃ、ほい。小林ココに頭な」
言われるまま、足を伸ばして座る花崎の太腿に小林は頭を乗せる。
俗に膝枕といわれるものだ。
「頭とか首とか痛くない?」
「痛くない」
それだけ呟くと、小林は目を閉じた。
「小林?」
元々無駄に喋る小林ではないが、身じろぎ一つしないので呼び掛けてみれば、しかし返事はない。
「あり、もう寝てる」
予想以上に小林はあっさり意識を手放していた。
昨晩遅くまでスタイリストに揉みくちゃにされて、さらに朝から着付けられて疲れているのかもしれない。
申し訳なさと、それでもこんな格好にまで付き合ってくれることに有り難さと嬉しさを感じで、花崎は指先で小林頭を撫でる。
本来の髪とは違うが、それでもそうしたくなったのだ。
「普通逆なんだけどねー」
写真を撮り終えたピッポが花崎の肩に止まる。
「駄目?」
「べーつにー。いいんじゃなーい」
花崎と小林にはこちらの方が自然なのだ。
自然な方がいい表情が撮れるに決まっている。
世の中の普通である必要はない。
いや、花崎を膝枕したら小林が困惑しそうで見てみたいと思わなくもないが。
「しっかし、小林ってホント顔綺麗だな。靄が無かったら危ない人たちに捕まっちゃって闇ルートとかで高値で取引とかされてたかも」
体力無かったからきっと逃げられなかっただろうし。と、花崎が言えば、野呂も重たげに口を開く。
「有り得ないと言えないところが怖いかも……」
アルビノの美少年など、滅多にお目にかかれるものではない。
それが幼い子供のころに親の庇護もなくうろついている。
親切な人間に巡り合えれば、施設で保護なり養子になるなり出来たかもしれないが、うっかり悪い人間に捕まったらそれこそ目も当てられなかったかもしれない。
「良かったなー小林。靄があって」
「そんなこと言えるの花崎くらいだよねー」
とはいえ、靄のせいで死を望み続けた小林相手に花崎のような言葉は言えない。
花崎なら許される気はするが。
他の誰でもなく小林が、花崎の言葉なら許すだろう。
「何でだよ。そりゃ靄のせいで苦労してたけど、小林守られてたし無敵で格好良いじゃん」
「その苦労の部分があるから言えないって言ってんのー!」
野呂が叫べば、小林が眉を寄せて目を開いた。
「うるせえな」
「あ、わりーわりー。静かにすっからもうちょっと寝てていいよ」
苦笑して花崎が頭を撫でれば、小林は大人しく目を閉じた。
「よっぽど眠いんだなー」
やはり寝つきが早すぎて笑いすら漏れる。
「そだねー。まあ、暫くここにいるならピッポちゃんもそこら辺の期で休憩させてくる―」
「おー」
ピッポが近場の木に留まるのを目で追って、再び小林に視線を戻す。
あの意志の強い目を閉じていると、より少女に見える。
けれど見慣れた輪郭を見間違うこともない。
小林でない、とは全く思わないから不思議だと花崎は思う。
空を仰ぐ。
小林の好きな色。
以前は観覧車のゴンドラでないと寝られないと言っていたが、今では本人の認識でも割とどこでも寝られるようになっている。
「好きな空見ながら昼寝できるようにもなったってことだな」
寝つきが早いので、あまり空は見ていない気がするが、起きた時に視界いっぱいの好きな色というのもありかもしれない。
どんな顔をするのかと、起きるのが楽しみになる。
「ん? そうするともしかして俺邪魔?」
だが、この体勢では小林が目を覚ました時に花崎が異物である。
かといって視界に入らない様にすれば小林の顔は見られない。
「ま、どっちでもいっか」
小林は本当にどこでも寝られるようになったのだ。
またこういう機会もあるだろう。
「しっかし、気持ちよさそうに寝るよなー」
そんな小林を見ていると、花崎も眠気に襲われる。
「俺もちょっと寝よっかなー」
そう呟いて花崎は身を倒した。
「ホント、空青いなー」
気持ちが良いほどの青空である。
これは確かに、このまま寝たらすごく気持ちよさそうだと花崎も目を閉じた。
完全に寝ているわけではないが意識は揺蕩う。
時間の感覚すらあやふやになっていたが、小林が身じろぐ気配がしたのでゆっくりと意識を引き戻す。
小林の方に視線を向ければ、ぼんやりと花崎を見ている。
まだはっきりとは目が覚めていないらしい。
「おはよ」
声をかければ、そこで漸く小林の目に意識が戻った。
「お前も寝たのか?」
「まあちょっとな。小林はよく眠れた?」
「ああ」
「そりゃよかった」
起き上がって身を伸ばせば、認識していたより太陽の位置がかなり動いている。
「って、2時間も経ってる!?」
時計を見ればその時間が明確に分かり、流石に花崎も驚いた。
意識はきちんと残しているつもりで意外としっかり寝てしまっていたらしい。
「やっべー! 普通こんなに寝るかー?」
自分達のことだというのに声を上げて大笑いする花崎。
知るか、と思うが花崎がやたら可笑しそうに笑うので小林は特に何も言わなかった。
折角原宿付近まで足を延ばしたのだからと、1970年代から現在なお原宿のイメージから外れないクレープを食べに行くかということになった。
だが、途中で小林が足を止める。
「足が何か変だ」
言われて、花崎も足を止めた。
街路樹の周囲が花壇ベンチになっているの見つけて誘導する。
「変て、どの変がどんな感じ?」
「この辺りが、何か引っ張られてる」
脹脛あたりを小林が摩る。
「あー…やっぱ慣れねーヒールのある靴だから普段使ってないとこ酷使されちゃったんだなー」
どうすべきか、と悩みながら花崎が周囲に視線を巡らせれば薬局の看板が目に入った。
「すぐそこに薬局あるし、塗り薬か湿布買ってくるからちょっと待ってな」
「え、おい…」
小林が止める間もなく、すぐ戻るからと言いながら人混みに埋没してしまう。
「アイツはまた勝手に…」
舌打ちして、しかしそれが花崎なのだからしかたないと諦めもある。
普段なら自分が追いかければそれで済むのだが、今の足では花崎に追いつけるとは思えない。
それに、花崎が小林の為に走り、小林の元に急いで戻るというならそれも悪くはない。
とはいえ、見失う気はなく携帯を出してGPSを起動した。
これは探偵団の規則みたいなものでもある。
原則的に単独行動は禁止。
どんな危険があるか分からないからだと井上に言われている。
常時事務所に居る小林は花崎がいない時に仕事に出ることもあるが、その場合は野呂のサポートがあったり井上が近場で待機していたりする。
この辺りはマイペースを崩さない花崎に対し、必要だと言われればきちんと従う小林に念が押されていた。
無事薬局には着いたようだが、探しているのか混雑しているのか動く気配がない。
「ねえ彼女、可愛いね」
そんな声が間近で聞こえてきた。
彼女、というのは女性に使われる言葉だ。
故に小林は気にしない。
「ねえってば」
また聞こえてきた。
「一人?」
どうやら自分が対象者であると、漸くそこで認識する。
「違う」
声をかけてきた男に、きっぱりと小林は否定すた。
「へー、思ったよりハスキーボイスなんだねー。でもそのギャップもいいと思うよ」
だが違うと伝えたにも関わらず男の話は続いた。
「お前は何だ?」
訝しげに見れば、やはり知らない男だ。
見ず知らずの男がやたら親しげに話しかけてくる理由が分からず、小林は眉を顰めた。
「君、可愛いから仲良くしたいなーって思って」
「僕は別に思わない。どっかいけ」
男の目的はわかったが、それを叶えてやるつもりはないのでやはり冷たく切り捨てる。
だが男はめげるどころか、目を輝かせた。
「僕っ娘なんだー! 何かのキャラ作ってんの?」
「はあ?」
「あ、違うんだ? 素でそれってレアだわー」
「さっきから何言ってんだお前」
訳の分からない話をされ、理解できない存在に面倒臭さが募っていく。
「それとももしかして男の娘? でも君くらい可愛ければそれでもアリだと思うなー」
「しつこいぞお前。僕に構うな」
足の痛みは、多少歩く程度なら問題はない。
花崎が戻っていない以上この場を動くのは得策ではないが、男が動く気配がないので小林は移動することにした。
多少離れても花崎なら見つけられる自信があるし、それこそGPSに頼ればいい。
「そー釣れない事いわないでさー」
しかし折角小林が移動したというのに男もついてくる。
寧ろ小林が動き出したことで好機と捉えたのか、先程より近づき小林の肩を掴もうと腕を伸ばしてきた。
その手を身を捻って避けながら、男を睨みつける。
「しつこいぞ」
小林は靄の所為で物理的に距離を開けていた為、こうして近づいてくる他人との距離のとり方がまだ分からなかった。
攻撃していい人間なら容赦なく撃退できるが、ただ話しかけてきただけの男にそれをしていいのかも分からない。
無闇矢鱈と攻撃するなと井上にはきつく言われている。
だが、正直鬱陶しい。
確か、女が嫌がるのに触ろうとする男を痴漢といったはずだ。
今、小林は女と思われている筈なのだから、触ろうとするこの男は痴漢だ。
ならば撃退してもいいのではないだろうか。
よし、次に触ろうとしたら殴る。
そう心に決めて小林は拳を握った。
その拳に後ろからそっと手を重ねられる。
振り返る間もなく、もう片方の腕で抱きしめるように引き寄せられた。
「オニーサン、ごめんコイツ俺の連れなんで諦めて?」
驚いたものの、聞こえた声に小林は緊張を解く。
「なんだよ、野郎連れかよ」
軟派男は張り合う気はないのか、舌打ちしてさっさといってしまった。
「引き際弁えてるようで結構結構」
花崎は笑いながら男を見送って、それから小林に意識を戻す。
「ごめんなー。お前見た目可愛いからこういう目に会う可能性もあったんだよなー」
後ろから小林を抱きしめたまま、拳を包んでいた手を放し今度は頭を撫でる。
可愛いって何だ、と思ったが、軽く叩くように撫でてくる感触は鬘越しにもわかるが特に不満はなく、小林は花崎の行動を止めることはしない。
「まだお前、知らない人に触られるのは苦手だもんな…怖かった?」
「怖くはねーけど、鬱陶しかった」
「あ、もしかしてその拳、緊張とかじゃなくて殴ろうとしてた?」
「次に触ろうとしたらそのつもりだった」
「そっか」
慣れない人間に無遠慮な距離で近づかれて、怖さで思わず拳を握ったのではないかと心配していた花崎は安心して息を吐いた。
「大丈夫そうで安心したわ」
小林は靄が消えたわけではない。
ただ発動を制御できるようになっただけだ。
人がいたら行けないままでは困るという本人の希望により、慣らす為に人混みを連れ回すようにしているが、小林は常に靄を発動してしまう恐怖と戦っているのだ。
あんな風に知らない人間に近づかれたら傷つける恐怖に脅えてしまうのではないかと懸念したが、靄以外の攻撃防衛手段を得た小林は、花崎が思っていたより靄を気にしていないようだった。
「やっぱお前、かっこいいのな」
心配をする花崎が馬鹿なんじゃないかと思わされるほど、小林はあっさりとハードルを飛び越えて先に進んでいく。
力が抜けたように小林の肩に凭れ掛かった。
密着度が上がり、何故か軟派男と対峙した以上の緊張が小林を襲う。
「おい、放せ」
「あ、わりーわりー」
慌てて身を捩れば、花崎はあっさり小林を放した。
それはそれで面白くない。
「離れんな」
「はい?」
どうすりゃいいの? と困惑する花崎の腕を小林は掴んで引き寄せた。
「お前は捕まえてないとすぐ勝手にどこか行く」
「あ、そういうこと」
離れるなとは勝手に何処かに行くなと言う意味だと判断して花崎は肩を竦める。
「今回はちゃんと行き先も言っただろー?」
ほら、とドラッグストアの袋を見せた。
「そのカッコには湿布はあわないからスプレーにしといた」
「それはどうでもいい」
「イヤよくねーだろ?」
お前の足じゃんと花崎呆れる。
しかしそれ以上何を言うでもなく再び先程の場所に誘導し、座らせる。
「靴下足首まで下げて」
言われて小林が靴下を下げる間に、花崎は袋の中からスプレーを取り出し封を切る。
「ちょっと冷たいからなー」
小林の前で膝をつくと、足首を持ってスプレーを吹き付けた。
「ひっ」
ほぼ言葉と同時に言われて覚悟する暇もなく、突然の冷たさに小林は小さく悲鳴を上げる。
「ははっ、変な声」
「ウルセエ」
笑われて、お前のせいじゃねーかと舌打ち交じりに顔を逸らす。
「ほい、もう片足な」
だが花崎は気にせずテキパキと作業を進めていく。
「これで少し待てば落ち着くとは思うんだけど」
別に筋を痛めた訳では無さそうなので、少しでもマシになるようにと軽く揉んでみる。
「そのうち治る」
「そうだろうけどさ」
小林が言えば、苦笑して花崎は一度立ち上がり、小林の隣に腰を下ろした。
そこに、ピッポも舞い降りた。
「おーつかれい」
「野呂ー。小林一人にすんなよなー。変なのに絡まれてただろ」
「はあ? ピッポちゃんはあくまで尾行要員なのー! コバちんを守るのは彼女役頼んでる花崎の仕事でしょー」
「そうかもしれねーけどさー」
自分がいない時くらい手を貸してくれてもいいではないかと思うが、勝手に離れたのは花崎であるのでそれ以上言葉が続けられない。
「別に僕は守られるほど弱くねーぞ。さっきだって撃退ならできた」
続きを拾ったのは小林だが、内容が攻撃的だ。
「いや、ただ声かけられた程度で撃退しちゃ駄目だから」
「だから触られるまではしなかっただろ」
「うん、我慢したのは偉かったぞ小林」
笑って花崎が言えば、小林が顔を顰めた。
「馬鹿にしてんのか?」
「褒めただけじゃん!?」
何故小林の思考がそこに行きついたのかわからず花崎は目を瞬かせた。
「軟派といえば、さっきのもなかなかラブってる図だったねー」
再び野呂が会話に割って入る。
「何が?」
「また無自覚かよ!」
しかし野呂の言葉を理解せず首を傾げる花崎に思わず叫ぶ羽目になった。
だが花崎とはそういう男なのだ。
無意識に計算した最適な距離で、無自覚に人を誘惑する。
その距離は相手次第なので、この近さは小林によるものもあるかもしれないが。
だが行動は花崎所以だ。
軟派に絡まれているところを後ろから抱きしめて守られたり、跪いて足の手当てをされたり。
小林が女ならば変にときめかせてしまったかもしれない。
彼女の代役が小林で本当に良かったとと思う。
そこまで考えて、野呂は一つ溜息を吐いた。
「まあいいやー。井上がコバちんの足がそれじゃ今日はもう無理だろうから帰って来いってー。今こっちに向かってる」
「ラジャー。態々迎えに来てくれるなんて井上やっさしー」
花崎が返事をする横で、少し落ち着いてきたのか小林が靴下と靴を履く。
立ち上がって、先程よりはましであると確認した。
だが、まだ違和感があるようで首を傾げる。
「おんぶしてやろうか?」
「イラネー」
即座に花崎が気付き声をかければ、本気で嫌そうに小林が顔を顰めたので肩を竦めて手を差し出す。
「んじゃこっちな」
こちらはやはり拒まれることはなく、先程までのように手を引いて井上の車の到着予定地に向かった。