花崎がやり直したかったものと選んだ手段。
若干コバ花臭がします。
「全部俺が終わらせる。アイツに勝って、終わらせて、またゼロからやり直すんだ」
花崎がやり直すかのような言葉だった。
でも花崎がやり直したいのは、明智探偵事務所であり、少年探偵団だった。
花崎が亀裂をいれ、明智が手放してしまったそれは、とても脆く不安定だ。
今のままの少年探偵団は何れ瓦解する。
少年探偵団を残すなら、最初から作り直さなければならない。
今の歪んで壊れかけて、それでも必死に形を保とうとしている少年探偵団の始まりは、花崎だった。
明智が器を作ったものだったとしても、リーダーが変わったとしても、主軸に花崎がいることは変わらない。
だから、ゼロから作り直す必要がある。
花崎すらも存在しない土台から。
取り返した明智でもいい。
その右腕として経験を積み、今も少年探偵団を失いたくないと必死に守ろうとしている井上でもいい。
新しい主軸を置いてやり直すべきだ。
それができたとき、おそらく花崎の手は血で汚れている。
明智を取り戻すなら、絶対に二十面相は止めなければならない。
けれど、生半可なことで止めることはできない。
それこそ、命を奪うでもしない限り。
でもそれは、明智では無理だ。
「あとは俺に任せろ」
そう言っていたが、明智は、おそらく二十面相を殺すことができない。
ならばやるのは、同じ船に乗っているもうひとりの存在。
つまり、花崎しかいない。
兄や中村刑事。他にも。
大切な人達の人生を壊して、宮西の命すら奪わせて。
許せないと思う。
だから、きっと躊躇うことなく引き金を弾けると花崎は思う。
それは自分の我儘で、自分の都合で。
そんな利己的な感情で人の命を奪う。
二十面相と何も変わらない。
少なくとも自分の手では人を殺さないと決めている二十面相より悪いのかもしれない。
法律では間違いなくそうだろう。
相手はかの二十面相なので、情状酌量はあるかもしれない。
それに花崎の年齢を考えれば、報道に名前が載ることもないだろう。
しかし少年法で守られたとしても、手を汚した事実は消えない。
なにより戻ったとしたら、きっと井上や野呂は手を汚させてしまったと負い目を感じてしまうだろう。
だから、きっと花崎は少年探偵団には戻れない。
けれど、ゼロからやり直すなら、花崎が最初からいない状況だって当たり前に受け入れられるはずだ。
それに明智を助けたら、引き金を引いた上で、いつかのように二十面相と空中ダイブをするつもりでいる。
今度はパラシュートなしで。
下が海であろうと、その高さから叩きつけられれば命はない。
仮に生き残ったとしても深く沈んで溺れ死ぬ事になるだろう。
それでもまだ生き残ったとしても、花崎が重りになって絶対に離さないつもりだ。
絶対に、皆のところへは行かせない。
もう二度と明智の前には現れさせない。
もう誰の人生も狂わせさせない。
そうして、ケリをつけることで花崎ははじめて少年探偵団の役に立てる。
花崎がいた少年探偵団に、きっと居場所を見つけられる。
壊れかけギリギリに飛び込んで、一緒に壊れて無くなれる。
それで。
ゼロからやり直せる。
花崎健介が、全てを壊してしまう前から。
二十面相に狂わされない日常を。
兄、晴彦を迎える決意をした父。
晴彦のしたことを考えると難しいかもしれないが、きっと父と赤石なら何とかするだろう。
本来、そこに居るべきだった晴彦が家に帰る。
いなくなるはずだった花崎健介がいなくなる。
一つ目のやり直し。
花崎のせいで明智を失い、壊れてしまった少年探偵団。
実働は、どんどん成長している小林を野呂や井上がうまく使えばきっと十分だ。
花崎より役に立つのは中村刑事も認めていたのだし。
山根も、自信も体力も身体能力もないが根気があって役に立つ。
小林と正反対の彼は、小林に不向きな仕事にとても向いている。
しかも天才肌ではない山根は、だからこそ小林に理解しやすい説明も出来る。
二人揃うと完璧かも知れない。
井上と野呂と大友は今と変わらず要人だ。
何も足りないものなどない。
少年探偵団を、壊す原因を入れずに作り直す。
二つ目のやり直し。
全部がやり直せると思うと、不謹慎かもしれないが少しワクワクと胸が高鳴りもする。
約束を守ってやれない小林には少し申し訳ないけど。
でもきっと、少年探偵団のなかにいれば大丈夫だからと思う。
楽しさを知って、きっと生きたくなって、死ねるようになる。
花崎がいなくても、きっと願いが叶う。
きっと全てが上手くいく。
「とか思ってたんだけどなー…」
病院のベッドの上で、花崎は苦笑した。
結局二十面相は取り逃がし、明智も戻せず、なのに花崎は残っている。
けれど、それを望んだのは小林で。
後押しをしたのは井上で、手を貸したのは野呂と大友と山根だという。
野呂達の行動を制限させない為に立った井上を支えたのは勝田。
「なんか逆に全員に迷惑かけただけになった気がする……」
一人で事件を終わらせることで、瞬間的に旧少年探偵団の主軸に戻り、全てを道連れに終わらせるはずだったのに。
そう言えば、二十面相相手に明智もそのような事を言っていた。
やはり師弟。
考えつく場所は同じなのかもしれない。
なるほど、少年探偵団を置いて一人で決着を付けようとした明智の行動を、二十面相との賭けの事だけでなく駄目だと花崎は思った。
少年探偵団が、花崎に対して同じような怒りを覚えても仕方ないかもしれない。
そこまで頭が回らなかった。
そんなところまで似なくて良かったのにと思う。
しかも結局、弟子は師匠に負けてしまい、何も取り戻せなかった。
「お前が勝手に動いて迷惑かけるなんていつものことだろ」
隣のベッドから聞こえた声に頭を動かせば、小林がベッドの柵にもたれるように座り、花崎を見ていた。
小林は靄は再発したものの、足の裏に大怪我を負っているので治るまで入院を井上に命じられている。
二人まとめておけば見舞いが楽になるとでも思ったのか、2人部屋の方が経済的だと思ったのか。
或いは小林の靄への懸念か。
理由を花崎は知らないが、目が覚めたときには既に同室だった。
花崎も一人で入院するのはつまらないので、それに対して文句はないどころか喜んですらいるが、おかげで少年探偵団の面々とどう顔を合わせていいのか悩む間もなく、野呂を除く全員と対面を余儀なくされた。
野呂とも通信で繋がっていたので対面していないとも言いがたい。
皆、普通に二人の見舞いに来て、普通に喋り、帰って行く。
大友などは花崎の退院を待ちきれないと云うように、発明を持ち込んで看護師に怒られていた。
そんな風に、あまりに普通に接っされるものだから、花崎は謝罪のタイミングを計りかねていた。
プレーンでの事は、助けられた時に簡単に状況を大友たちに説明したきり、詳しくは話してはいない。
警察の事情聴取も井上と小林が大体説明しており、花崎は目が覚めたのが遅かったのもあり、簡単なものだけだった。
花崎が体を起こせるようになり、今日ようやく事件の話に少しだけ触れたかと思えば、始終野呂と大友の自慢話で終わった。
そこに含まれていた内容は、花崎に衝撃を与えたわけだが。
あの時は小林の出現に驚き、その後詳しく考える間もなく怒涛の展開を迎えたので失念していた。
確かによく考えればあの場に来ること自体、小林だけでは不可能なのだから、手を貸した存在はいた筈なのだ。
けれどまさか、小林を送り込む為に全員が動いたとは思いも寄らなかったのだ。
そして先程の言葉が出たのだ。
その言葉に対して、遠慮のない小林は直接花崎の痛いところを突いていた。
「ひっでーなあ、小林」
「本当のことだろ」
苦笑して花崎が言えば、こちらは無表情で小林が返す。
「そーだけどさー……」
不満が顔に出るが、しかし自覚のある花崎はそれ以上言えない。
「別にいいだろ」
「へ?」
「お前が大馬鹿野郎なのは全員知ってる。そういうもんなんだから、それでいいだろ」
「世の中、そんな単純じゃねーよ」
馬鹿だから周りに迷惑をかけていいなんて、そんな筈はないだろうと花崎は思う。
「僕が難しく考えられる訳ねーだろ」
だが、小林は真顔でキッパリと言ってのけた。
「それ自分で言うかー?」
「お前だってワカンネーって簡単に言うじゃねーか」
「ありゃ、ブーメラン?」
心当たりがあるので否定できなかった花崎は、しかしそうではないと首を振る。
「でもそれとこれはまた違うんだって」
迷惑にも質とレベルがあるのだ。
「何が違うんだよ。結局そこにあんのはそれだけなんだから変らねーだろ」
「お前はそういうやつだよ…」
溜め息を零した花崎に、小林は憮然とした表情になる。
「お前も単純じゃねーか」
「は?」
「今、僕がそういうやつだって言って、それ以上考えなかっただろ」
「あー…まあ、うん」
確かに、小林はそういう人間なのだからそれ以上考えても意味がないと思った。
「僕がそれでいいなら、お前だってそれでいいだろ」
「小林はそれでいいけど、俺はそれじゃ駄目なんだだよ…」
だって、小林は役に立つ。能力も、真っ直ぐさも。
花崎みたいな迷惑をかけてばかりの役立たずなんて、誰も望まない。筈だ。
「他のヤツラもお前はそれでいいって思ってるから、お前の周りにいんだろ」
小林の言葉に、花崎は泣きたくなった。
「相変わらず極論だけど、お前そういうの全部本気で言ってるところ、ホント…かっこいいよな」
小林と一緒にいると、小林のまっすぐな言葉をきいていると、本当にそれでいいのではないかと思いたくなる。
花崎を気遣っての言葉ではなく、本気で言っているのが分かるから。
本気で花崎のままでいいと言われているのが分かるから。
皆が傍にいてくれるのは罪悪感を抱く花崎への気遣いではなく、花崎を受け入れてくれているからだと思いたくなってしまう。
「お前は嘘つきだから、ダッセーんだな」
「そうだな…俺、ダッセーのな」
全部駄目だったのに、小林の言葉に簡単に揺れ動いてしまう。
このまま、またあそこに戻れるのではと思ってしまう。
壊して自分を抜いて作り直さなければならないと考えていたのに、自分も組み込んでいいのではないかと望んでしまう。
「ダサいし、鬱陶しいし、メンドクセーし、ムカつくこともよくするな」
「そこまで言うかー?」
けれど否定は出来ない。
涙が零れないように、腕で目元を覆いながら極力明るいテンポを心がけて花崎が言えば、でも、と小林の言葉は続いた。
「勝手にどっかいかなくて、お前がちゃんと笑えるなら…僕はそれでいい」
「小林?」
らしくなく話し続ける小林に、花崎は涙をなんとか堪え顔を上げる。
花崎と目があっても、小林は喋るのをやめない。
迷惑かけられたって、いい。
「誰かに泣かされたり、諦めたり、色んな奴らに振り回されて似合わねーツラすんのはムカツクけど、連れ戻せばいいこともわかったから」
だから手がすぐに届く位置で、花崎が花崎の思うまま動けばいいと小林は言う。
「お前が僕を置いていかないなら、僕が必ず、お前を笑わせてやる」
その言葉に、花崎は目を見開いた。
いつか、小林が初めて怪我をした日。
初めて小林の心が揺れ動いた時。
内容は違ったが、同じように花崎が口にした約束。
おそらく意識しているのだろう。
それが、小林にとってあの約束が大事なものだとでも言っているように聞こえてしまう。
違う。分かっている。
自惚れでも無く、アレは本当に小林にとって大事なものなのだ。
死を渇望していない今えさえ。
殺される事がではなく、小林の世界を広げることになった約束が。
その入り口となった花崎との繋がりの約束が。
刷り込みかも知れない。
それでも、確かに大事だと思ってくれているのだ。
たぶん、その約束をした、花崎という存在を。
傍にいて笑っていろだなんて、笑わせてやるだなんて、まるでプロポーズだ。
これほどまでに求められたことがあっただろうか。
いや、常に変えのある存在だった花崎にある筈も無い。
小林を直視できなくなり、片手で目元を覆いながら天井を仰ぐ。
「小林がかっこよすぎて惚れそう……」
けれど、こんなに格好良い小林が花崎のままで良いと言うなら、少しだけ勇気を持って、小林の言うように、自分の価値とやらを信じてみようかと思ってしまう。
もしダメで落ち込んでも小林が笑わせてくれるのだろうから。
今度は両手で顔を覆うように俯く。
「小林の誘惑が怖い」
「何言ってんだお前?」
速攻で入った何も考えていなさそうなツッコミに、小林らしいと花崎は笑うしかない。
まだ顔は上げられないが。
「おまえ、無意識に人を誑すなよなー」
「たらす?」
「誘惑して混乱させたり判断を間違えさせたりすること!」
「はあ? 僕がいつそんなことした」
「今したじゃん! 俺、お前が嬉しいことばっかり言うから、駄目だって分かってるのに、良いやって思っちゃったじゃん!!」
「思えばいいだろ」
花崎がそう思えたなら何も問題ないし、非難される意味がわからないと小林は首を傾げる。
「大体、誘惑とかたらす?とかお前に言われたくねえ」
お前が一番、無自覚のタラシじゃねえか。
と、小林が忌々しげに舌打ちをした。
「なんで?」
意味が分からず顔を上げた花崎が、きょとんとして小林を見る。
「………寝る」
何も分かっていない花崎に、しかし自分が花崎に理解できるように伝えられるとも思えないし、何より面倒くさいと思った小林は、それだけ言うとベッドに横になり、シーツに潜った。
「え!? 小林?」
どういう意味だよー! と花崎は何度も問いかけたが、終ぞ答えは返らなかった。
小林は靄が再度発動した今、足裏に入り込んだ瓦礫の破片は全て取り除かれており、常に治癒にベストな状態が保たれているので治療する必要はない。
というより、できない。
なので病院でなくとも問題ないのだが、それまでに負ったダメージは確実に小林に蓄積していた。
休息を取る必要はある。
井上は後処理に追われて面倒見ることができないし、野呂は単純に引き籠もりな上に、情報収集の観点からもそう簡単に家を開けられない。
あれほどのシステムは他の場所では簡単に構築できないからだ。
かと言って女子の家に看病が必要な同年代の男子を泊まり込ませるわけにも行かない。
他のメンバーもそれぞれ都合があるし、まともな食事が用意できるのは抜けてしまった勝田くらいである。
その勝田も学校に家に就職の準備に忙しい。
病院は探偵事務所より栄養管理がしっかりしている。
ならば怪我が完治していないのを理由に病院で面倒を見てもらおうということになったのだ。
だが靄を有した小林を一般病室にはとても入れることはできない。
現在そうであるように、個室を取るくらいなら明智探偵事務所の資金でも十分だが、目を覚ました小林が薬の臭いに嫌な記憶を刺激されたのか、病院を嫌がった。
すぐにここは嫌だと病院を出ようとする小林を慌てて引き止める。
幸いなのか、小林に病院から逃げ出すどころかベッドから出る体力も残っていなかった。
それでも無理やり出ようとして、ベッドから落ちて一緒に落ちたシーツを駄目にした。
このままでは時間の問題だと井上達が悩んだところで大友が口を開いた。
「んじゃさ、花崎と同じ部屋にしてもらえばー?」
と。
「はなさき…」
ぼんやりと脳に引っかかった単語を口にすれば、小林の意識が急速に覚醒する。
「花崎!」
漸く状況をはっきり思い出したのか、小林は病院のことなどすっかり忘れたかのように花崎の名を口にした大友に視線を向ける。
「あいつはどこだ!? 近くにいんのか!?」
無理やり床から引き剥がすように上体を起こし、視線だけでなく体ごと大友に向かう。
「この病院にいるよー。お前と一緒に救助された後、完全に気が抜けて現在も意識が戻らないからねー。マスクも呼吸器もつけずに成層圏から空中ダイブに寒中水泳って、いくらあいつでも数日は入院が必要でしょ」
プレーンを追うために警察も動いていたので、小林のGPSの助けもあり発見は早い方ではあった。時間にして数時間。
幸いにして、小林は靄のおかげで、花崎は身体能力を維持する鍛えられた肉体のおかげで、真冬の海において後遺症が残りそうな負傷は見られなかった。
けれど救助される迄の間に、花崎は潮に流されていく小林の元まで泳ぎ、捕まえ、靄がどれ位安定しているか分からないので小林をプレーンの残骸に乗せ、落ちないよう見張りながら二人分の体重は支えられそうにないそれに上半身だけ乗せるように掴まり、沈まぬように泳ぎ続けたのだ。
むしろそこまで意識を保てた方が不思議な程である。
意識を失っていたら花崎は死んでいたのかもしれないが。
警察の船に同乗した大友と山根と、ピッポを通して野呂に大まかな事情を説明して、意識を失う直前「ごめん」と謝って以来、目を覚ましていない。
「生きてんだな?」
「……ああ。お前の力のおかげでね」
大友が何かを思うように少し間を空けて頷く。
「そうか……」
その言葉に小林は肩の力を抜いて、最後に花崎と繋がっていた右手を見て、握り締める。
「で、どこにいんだ?」
再び大友に視線を戻して問う。
「花崎先輩なら……」
精密検査中ですと言いかけた山根の口を大友が塞ぐ。
「そーだねー。小林が素直に入院するって言ったら教えてあげてもいいけどー」
ニヤニヤと笑われて、小林は舌打ちした。
しかし自分で探しに行く体力もない。
井上に視線を送っても、逸らされる。
勝田は基本的に少年探偵団のことには口を出さないし、問題がないなら井上の意思を優先する。
病院に梟は入れられない為、携帯で繋がっているはずの野呂も一言も発しない。
つまり、小林が頷く意外、花崎についてこれ以上知ることはできない。
「あいつと一緒なら…我慢してやる」
すぐに勝手にどこか行こうとする花崎を見張る任務だと思えば、病院だって我慢できる。
「ふーん……」
「なんだよ、早く教えろ」
「いや、自分で言っといて何だけどさー、そんなにあっさり頷くとは思わなかったって言うかー」
「ああ?」
条件を出したくせに頷くとは思わなかった等と、理解できないことを言われて小林は顔を顰める。
「小林は本当に花崎が大事なんだな」
井上が苦笑交じりで説明を加えた。
「は?」
大事…というのは、小林にはわからない。
ただ、花崎は絶対に小林より先に死んではいけなくて、小林を殺すまで…死にたいと言う欲求はもうあまりないけれど、それでも小林を殺すまで傍にいなければならない人間だ。
それを『一緒にいたい』の一言で済ませる思考は残念ながらまだ小林にはない。
「花崎は現在精密検査中だ。お前がこれだけ無事ならおそらく花崎も問題ないだろうから、そろそろ病室に戻されるだろう」
困惑する小林に、けれど井上はそれ以上言うことはなく、花崎の状況を教えた。
「そろそろって…まだ会えないのか?」
「そう慌てるな。ちゃんと大丈夫だから」
「ならいつ会えるんだよ」
大丈夫、という井上の言葉は信じるとして、ではいつ会えるのか。
精密検査とやらはいつ終わるのか。
井上の言葉を信じていても、実際に花崎を見るまで小林の中にある焦燥は消えない。
「花崎が戻ったらすぐに会えるよう今のうちに花崎さんに小林のことをお願いしておこう。あちらが駄目だと言ったら考え直さないといけないしな」
勝田がそう言って席を立った。
「あ、勝田ー。それは俺がいくから」
だが、それをすぐに大友が止める。
「大友が?」
「え? 先輩が?」
井上と山根が驚いたように声を上げた。
「ちょっとー、山根~? その反応はなんなのよー」
両手で失礼な反応をした口を伸ばすように頬を強く引っ張って放す。
「い、いえ…ちょっと意外だったと言うか…」
頬を押さえながら山根は慌てたように言い訳をする。
しかし山根や井上の反応も仕方ない。
普段、こう言ったことは他人に任せる節のある大友にしては珍しい行動だ。
それが分かっているので、大友も井上には特に何も言わなかった。
山根のそれはいつものおふざけの一環だ。
「言い出したの俺だしねー。それにこれは駄目って言われたら困るしー。なら自信がある俺が適任でっしょー?」
花崎も少年探偵団の一員ではあるが、それ以前に花崎家の御曹司だ。
病院に運ばれた時点で、一部医師と花崎雄一郎、赤石には小林の能力は知られている。
花崎自身なら許可しそうだが、父親がそんな危険人物を大事な息子の同室にする許可を出すかは不明だ。
けれど、花崎の話と最後の謝罪をきいて、小林に見張らせなくてはならないと大友は考えた。
小林の靄のおかげで助かった。
そう、花崎は説明した。
それは、靄が無ければ助からなかったと言うことだ。
「考えなしの行動も面倒だけど、考えた行動の方が質悪いとか、ほーんと、花崎はとことん面倒だねえ…」
呆れたように零しながら、大友は小林の病室を出た。
井上のように態度には出なかったが、大友も花崎のことを許せないと思っていた。
二十面相に踊らされて、少年探偵団が自分のために行動を起こすなんて考えもしないで、明智に認めさせることばかり考えて。
傷つけられて、利用されて、全ての決着をつける方法に簡単に死を選んで。
花崎を大事に思っていた人間たちの思いを踏みにじるように、自分を無価値として。
そんな風に自分の価値を諦めるものだから、友達に戻るのも無理かも知れないと思っていた。
自分が許さない限り、存外敏い花崎はきっと踏み込んで来ることはないであろう事は気づいていたからだ。
けれど、大友の発明を馬鹿みたいに喜んで褒めてくれていた花崎はいつだって本心で。
それを見ることが出来ないのは、酷く詰まらないと気づいて。
何かの切っ掛けを、大友も探していたのだ。
だから成層圏プレーンを追わせたことは後悔していない。
考えなしに飛び出していくのは花崎らしい行動だし、上手くやり遂げれば、花崎がまた前のように馬鹿みたいに笑えば、許すとか許さないとかそんなことも考えなくても大友はまた花崎を受け入れられる気がした。
けれど思っていた以上に馬鹿だった花崎は、明智を助けるのではなく全てを終わらせると言い、バッジを手放した。
そこで、なんとなく馬鹿な花崎が何を考えているのか悟ってしまった。
けれど癪だが花崎の向かう先には明智ががいるのだから最悪の事態にはならないだろうと考えた。
明智が花崎にそれを許すとは思えなかったからだ。
結局明智に頼るのかと思えばげんなりとした。
明智がいなければよかったと思ったことはないが、明智という虫籠のような檻に捕らわれ続けている少年探偵団は好きではない。
その檻は守る為のものであると同時に、明智の動き一つで簡単に振り回されてしまうからだ。
花崎を見ればよく分かる。
振り回され傷ついて、でもその檻にいたいとしがみついて。
明智を助けに向かったのもその一環だったけれど、明智は檻の鍵を開けていた。
そして檻ごと放り出すのではなく、檻を開放する覚悟を決めたようだった。
だから花崎は帰ってくるだろうと考えた。
けれど、大友も野呂も失念していた明智の甘さを花崎は誰よりも知っていた。
明智は大切なものを大切だと思いたくないかのように、簡単に手放して、でも壊すことが出来ない。
ただ解放するだけでは駄目なことを、きっと誰より花崎は理解していたのだろう。
馬鹿なくせに敏くて、馬鹿だから馬鹿な行動をする。
もう花崎を諦めてしまいたくなった。
花崎も見捨ててしまえれば、大友は楽になれる筈なのだから。
けれど、小林が追うといい、井上に頼られ、嬉しいと思ってしまった。
結局のところ、大友は少年探偵団の面々が好きで、頼られるのも嬉しくて、見捨てられないのだ。
小林がいれば、きっと花崎は馬鹿なことができなくなる。
少なくとも、花崎自身を犠牲にする方法を選ぶことはできないだろう。
明智に任せなくても、花崎をどうにかできる。
そう思った。
けれど、明智の行動を計算に入れなかったのは失敗だった。
いや、失敗は明智を撃ってまで先に逃す選択をした花崎の思考を読みきれなかったことかもしれない。
実際、うまくいっていれば花崎は手を汚したかもしれないが、それでも小林を前に死を選ぶことはできずに帰ってきただろう。
きっと今度こそ花崎は未練すら切り捨てて全てから離れてしまっただろうけれど。
命だけ失わないその状況を、失わなかったといっていいのかは分からないが。
しかし、明智も何を考えているのかと思うような行動の結果、誰もの予想外の展開になり、小林の靄がたまたま再発したおかげで助かったという。
正直明智を詰りたくなるのと同じくらい褒めてやりたくなった。
何よりも褒めたいのは小林だが。
手を繋いでいたおかげで花崎も靄に助けられたということは、そこまでは靄が発動していなかった筈だ。
靄の発動原理が小林の生きる意志に関係するとすれば、その状態で小林は死を望んだということだ。
花崎を追った時の態度や、先ほどのあっさりした了承から考えれば、花崎といて死を望むとは考えにくい。
もしそれがあるとすれば、花崎に先に逝かれるか、花崎と共に終われるという事実くらいだろうか。
確かに成層圏から海に落とされれば、普通なら死ぬ。
手を繋いでいたとしたら、一緒に死ぬ事になるだろう。
小林がそこまで考えが回るとは思えないので、花崎がそう告げたのかもしれない。
だとしたら花崎はまだ、自分の命に価値を認めていない。
今回、明智救出を失敗したことにより、やはり無価値と判断してもっと軽く扱うかも知れない。
しかし花崎は小林に責任がある限り迂闊なことはできないであろうし、小林は花崎だけの死を望まない。
価値を認める云々は花崎の問題なので大友は関わるつもりはないが、命を軽く扱われては面白くないのでやはり小林という重りをお守りにおいておく必要がある。
目が覚めた時点から、余計なことを考える前に、小林への責任を自覚させておきたい。
だから、絶対に花崎の傍に小林を置くのだと、大友は花崎雄一郎に向き合った。
「構わないよ」
どう説得するか、悩んでいた大友はあっさり降りた了承に面食らった。
「いーんですか?」
「ああ。小林君だろう? 問題ない。その方が健介も喜ぶだろう」
そう言うと、傍に控えていた赤石にすぐに二人部屋の手配をするように告げる。
「随分あっさりで拍子抜けしてますよ」
「健介がああなってしまったのは、私の責任も大きいからね」
家族を大切に思うと言う気持ちを、雄一郎は持っていながら、しかし自覚していなかった。
晴彦が出て行って事件に巻き込まれ傷つき、健介が誘拐されたことで知った、失いたくないという想い。
そこまで来なければ気づけなかったというべきか。
花崎家の子供になる者には責任を負わせる以上、幸せになってもらいたいと思っていた。
そして、跡を継げるのは一人しかいない。
親としてその一人を大切にすべきだと考えた。
きちんと二人とも大切に思っていた。
だからこそ、一人にしか与えてやれない自分の元ではなく、他の家族に行くべきだと思ったのだ。
健介も優秀だから、自分にはできないが他の家なら一人息子として大事にされるかもしれない。
それですべてが幸せになれると考えていた。
雄一郎には『家族』というものがどういうものなのかが分かっていなかったのだ。
晴彦が家を出て、自分を犠牲にしてでも守りたいと思えるものが家族なのかと考えた。
特に晴彦は『家族』というものを大事にしていた。
晴彦も健介も、多くの子供たちに当たり前のように与えられているそれを持っていなかった。
だからこそ、誰よりもそれに執着し、守ろうとした。
それほどまでに守りたかったのならば、晴彦の望み通り健介を子供として育てるのが晴彦のためになるのだろうと考えた。
そうして健介と向き合うことになって、自分の犯した失敗を知った。
健介が笑わなくなったのだ。
いや、全く笑わないのではない。
ぎこちなく笑ってみせることもある。
けれど、瞳は常に悲しみを湛え、心は凍りついていた。
息子になる者を幸せにしたいと思っていたのに、残された子供すら幸せにしてやれないのかと気落ちした。
そんな中、晴彦の『家族』になったという女性から連絡を受けた。
晴彦が大切にしていた『家族』を新しく作ったと知った。
雄一郎どころか、自らを犠牲にして守ろうとしたはずの健介でなくても、晴彦の家族になれてしまうのだと困惑もした。
しかし晴彦の望みに気づいてやれなかった自分とは違い、そこでなら本当に望んだ家族を作れるのかもしれないとも思った。
少々怪しい人物ではあったが、晴彦が懐いているのだから信用することにした。
せめて晴彦が苦労しないようにと、晴彦の家族になった女性には資金援助をする約束をした。
健介が晴彦を探しているのは知っていたが、晴彦は出て行っただけではなく、新しい家族を作っていると知ったらショックも大きいだろうと、行方については教えないことにした。
まだ幼いのだから、時間経てばそのうち落ち着いてくるだろうと。
その代わり、健介が望むことは好きにやらせることにした。
探偵事務所への出入りもその一つだ。
少し危険かもしれないが、健介が落ち込んだまま閉じこもるよりはましだった。
あとは家を出さなければならなくなるような問題だけは起こさないでくれれば良いと思ったのだ。
雄一郎がやるべきことは、健介が受け入れられるようになるまで花崎家を守ることだった。
お前が花崎家の跡取りなのだと、再び切り捨てられる存在になることはないのだという意味を込めて聞かせ続けた。
けれど、健介には伝わらなかった。
いや、健介は兄の居場所を奪うことを恐れて聞き入れなかったのだ。
時間が解決してくれるなどと逃げを打たずに、もっと歩み寄ることを考えるべきだったと知ったのは、健介が誘拐された時だった。
その時には沢山のことが手遅れだった。
晴彦が独立運動の首謀者として名が知れ渡ってしまい、何とか重罪にはならないように奔走した。
できることなら利用されただけとできるようにと。
その間、大人しくしているようにとだけ伝え、暫くは確かに大人しくしていてくれたので健介の心のケアまで頭が回らなかった結果、今度は健介が誘拐されてしまった。
花崎という家にいる以上、元々そういう可能性もあったというのにそんなことすら失念していた。
しかも相手はかの二十面相。
殺しはしないとは聞いているが、それでも送られてきた映像の健介はとても苦しそうだった。
警察に伝えれば健介がどのような扱いを受けるか分からなかったので、言いなりになるしかなかった。
明智小五郎と少年探偵団のおかげで二十面相は捕まったと連絡を受けたとき、矢も盾も堪らず、赤石と車に飛び乗り現場まで駆けつけた。
多くの人がいる中に蹲る健介を見つけ、年甲斐も無く走り寄った。
駆け寄りながら名を呼べば、びくりと震え、それでも顔を上げた健介の表情は罪悪感で塗り潰されていた。
雄一郎はこの顔をよく知っていた。
晴彦が出て行った時にみた、自分が全て悪いのだと思っている顔だ。
「ごめ…んなさい…俺……あいつに…簡単に…利用されて……」
苦しそうに、その胸のうちを吐き出すように、雄一郎に謝罪する健介。
「…みんなも…まきこんで……やくそくも…まもれなくて……」
雄一郎は健介に届く位置まで来ると堪らず抱きしめた。
思い返しても、抱きしめたのは初めてだった。
「おれの、せいで……めいわく…かけて…しんぱい、させて……」
腕の中の健介は、思っていた以上に小さく、まだ子供なのだと実感させられてしまった。
「お前が無事なら、問題は無い」
本心から零れ落ちた言葉に、腕の中で息を呑む気配がした後、再び謝罪が聞こえた。
怖かったと震えるのではなく、自分が悪かったと、申し訳ないと、涙する。
もしかしたら今回のことには健介の意思も少しは介入したのかもしれないと思った。
しかし二十面相は人を誘惑し、本人の意思をねじ曲げて操る術まで持っていると聞く。
まだ多感な年頃の健介がそんな相手に誘拐され拘束されて、まともな精神状態が保てるとも思えない。
ストックホルムの例もある。
誘拐されて辛い目にあった健介が、そこまで罪悪感を抱く必要などないのだ。
「大丈夫だ、健介。帰ろう」
赤石に目配せをし、警察の元まで健介をこのまま連れて返るよう連絡させ、雄一郎は健介を伴って車に戻った。
家につくまでの間、健介は俯いたまま、時折思い出したように「ごめんなさい」と口にするだけだった。
悪くないと思っているのにうまく伝えられず、こういう時どうしてやればいいのか、どうすれば伝わるのか、7年前、考えずに時間に頼ってしまった雄一郎には分からなかった。
後悔は先に立たないというが、気づくのはいつも手遅れになってからだ。
救いだったのは、晴彦も健介も生きているということだった。
今更どの面下げて父親ヅラするのかと思わないでもないが、やっと向き合う決心ができたのだ。
距離のとり方がわからず手探りで、それ故疲れさせていることも気付いたが、ここでまた逃げたら次は無いかもしれないと考えると、突然過保護になった自覚はあるが、それでも歩み寄らずにはいられなかった。
「健介に、どれほど優秀であろうと自分は常に切り捨てられる側の人間だと、思わせてしまったのは私なのだ」
そして、切り捨てられた…必要とされない人間には、愛情も居場所も与えられないと。
健介は珍しく複数の家に引き取られた過去を持っていた。
しかし様々な事情から、その家族になることはなかった。
もう無くすのは嫌だと、今度こそと望んだものは、しかし健介の手には入らず、それでも伸ばした手は兄から居場所を奪ってしまった。
結果、切り捨てられるはずの人間が居場所を望めば、誰かの居場所を奪う存在になってしまうのだと思わせてしまった。
そして奪ったものは所詮本当に自分に与えられたものではないと、自分に与えられるはずが無いと、心に壁を作らせた。
あの時、健介を施設に戻す選択をしなければ、晴彦の人生も、健介の感情も違うものだっただろう。
せめて出て行った晴彦を、新しい家族を作ったのだからなどと自分に言い訳せず迎えに行く勇気を持てていれば、二人はあのように傷つくこともなかっただろう。
「情けない話、私はどうしたら健介が喜んでくれるのかまだわからなくてね。あの子を笑顔にできるお友達の力を借りたくて仕方がないのだよ」
苦笑して、息子ふたりの写真が入ったロケットを握りこむ。
「健介が用もなく家まで友達を連れてきたのは、小林君が初めてのことだ」
少なくとも、家という物理的なパーソナルスペースに小林を招き入れることを是としたのだ。
それほど健介の壁を崩してくれた相手なら、雄一郎としても大事にしたい。
謎の殺傷能力を持っていると聞いても、今回はその力のおかげで健介が助かったのだと聞いた。
それに、初めて小林を見かけてからそれなりの時間が経っているが、小林によって健介が大怪我をしたことはない。
ならば、能力などより健介の感情を優先したいと思ったのだ。
そう思えたのも、少しは前進しているということなのだろうかと、雄一郎は微笑んだ。
そんな雄一郎を見て大友は肩の力を抜いて頭をかく。
「なんつーか、ちょっとあなたのこと誤解してました」
最初は花崎を大切にするでもなく飼い殺しにして、世話はよりによって明智に任せるような人間だと思っていた。
確かに護身術以上の格闘技術も学べて、探偵として問題を抱えた多くの人間に係わるのは人を見る目を養うのに都合がいいかもしれないが、それにしたってどうなのかと。
ル・ワッカの後を見ると少しだけ違うのかもしれないとは思い直していたが。
大友が考えた以上に、実際は花崎を大事に想っていたのだと知った。
故に家から解放できず、しかし花崎をを笑わせたいから危険も多いであろう探偵への弟子入りも許してしまえたのだとしたら、親ばかといってもいい程かもしれない。
「きっと誤解ではないよ。私はどうしたら父親になれるのかも分かっていない情けない男だからね。君たちから見たら駄目な大人というやつじゃないかな」
「そうでもないですよ」
確かに今までの対応を見たら親としては駄目だろうと思わないでもないが、少なくとも、ずっと深い愛情を持って大事にしているのだから。
それに自分の駄目なところを認めてしまえる大人な対応が出来る大人は意外と少ない。
そして変ろうとすることは、意識が凝り固まった大人の方が難しいという。
それが出来る人間が、本当に駄目な大人だとは思わない。
大友の言葉に、雄一郎が少し嬉しそうに口元を歪める。
「君も健介の友達なのだろう? あの子は人とは一線を引くと思っていたが、小林君や君のような友人がいるなら大丈夫そうだ」
誤解するくらい健介を心配して、それが懸念だったことを知って安心してくれる友人。
「どうでしょうねー。息子さん、とっても面倒臭いんで俺は友達かは分からないですよ」
肩を竦めて言えば、雄一郎は意味ありげに笑って見せた。
「それだけはっきり言ってくれるというのは、おそらく友達なんだと私は思うよ」
「あー…そういう考え方もあるんすねー」
雄一郎は伊達に花崎グループの長を長く勤めてはいない。
人を見る目も、人の真実に気付く目も持ち合わせている。
おそらく、とっくに見抜かれているのだろう。
結局、許す許さないなどと考えて切り捨てられない時点で、友達だと思っているのだと。
「これからも仲良くしてやってくれ」
花崎より年季が入って多くの人間に接している分性質が悪く、自分程度の若造では敵いそうにないと大友は降参することにした。
「まあ、気が向いたらそうします」
「よろしく頼むよ」
と、雄一郎が頷いたところで赤石が戻ってきた。
「旦那様、お部屋はすぐに用意できるそうです」
まだそれほど経っていないのにこれほど早いのは、さすが花崎家というべきか。
花崎家の依頼ということで病院側も大慌てで新たな病室の準備をしたのだろう。
「なら、先に小林君にはその部屋に行ってもらおう」
ということで早速花崎家が用意した2人用個室にまとめて押し込み、面倒を見ることになったのだ。
小林を移動させて、待つことしばし。
花崎がベッドごと運ばれてきた。
既に目は覚めているようだが、どこかぼんやりしている。
「え…と…」
家族や仲間に囲まれて、必死に考え何か言おうとしているようだが混濁した思考では上手くまとまらないのだろう。
上手く言葉を紡げずにいる。
「寝ぼけるくらいなら寝ろ」
周囲が心配そうな視線を向ける中、小林のきっぱりとした声が響いた。
ゆっくりとそちらに視線を向ければ、見慣れた赤い目と合い、無事だったんだなと安心して花崎は一つ頷く。
「そうだな。無理をすることはない。今はきちんと体を休めなさい」
雄一郎がそう言いながら、撫でるまでは行かないながらも頭を軽く押さえるように手を乗せれば、その手に安心したように花崎は目を閉じた。
それを見て、多くの人間が、ようやく本当に安心できたのだった。
結果だけを見れば、少年探偵団は生まれ変わった。
井上を所長代理とすることで、ある意味井上を抜いた状態で再編成されたからだ。
「俺はもう少年じゃないしな」
と、井上の言葉が発端だった。
高校を卒業したのだから、法律的にも確かにそれも間違いではない。
そして何故か再び花崎は少年探偵団のリーダーになった。
新生少年探偵団のリーダーを決める際、最初、野呂はどうかと花崎は言った。
「ただでさえ問題児ばっかり集まってんのに、そんなののリーダーなんて野呂ちんゴメンだもーん」
と、本人に拒否された。
大友は、そもそも技術担当で探偵活動はしていなかったという理由でやはり拒否した。
明智ではなく井上のもとに集まるということで、大友も一応続けてはくれる気になったらしいが。
なら小林かと視線を向ければ、
「僕がやるわけないだろ」
の一言で一蹴された。
ではもう山根しかいないと言えば、突然の申し出に焦り、涙すら浮かべて勘弁して下さいとなぜか謝られた。
「皆ダメじゃ、どうすんだよ。リーダーなしにすんの?」
確かに、所長代理の井上を頂点に置けばそれでも問題ないかもしれないが、少年探偵団と明智探偵事務所はあくまで別の組織なのだ。
井上が仕事でいない場合などの統率責任者は一応必要になる。
花崎の言葉に、全員の声が見事なハーモニーを奏でた。
「花崎がやればいいだろ」
「花崎がやればいいじゃーん」
「花崎でいいんじゃないのー」
「花崎先輩じゃ駄目なんですか?」
「花崎でいいんじゃないか?」
全員の意見が一致してしまい、しかし一人一致していなかった花崎が困惑する。
「は? いや、だって…」
「元々、少年探偵団は明智先生が花崎を中心に作った組織だろう」
「そうだけど、その後リーダーは井上に変えたじゃん」
結成当初、少年探偵団のリーダーは花崎だった。
それまで明智の元で指導を仰いでいたのだから当然だ。
正義感で突っ走る花崎より井上の方が向いていると、井上に代わり、その後怪我をしたことにより井上は明智の助手となった為、再び花崎がリーダー代理を勤めていたのだ。
「今の論点はそこじゃない。成り立ちについてだ」
そもそも花崎が優秀な人材で無かったら、明智は子供たちを集めた組織を作ろうとは思わなかったかも知れない。
つまり、花崎健介は少年探偵団を作る土台どころか、構想段階から組み込まれていたピースなのだ。
土台から作り直せば自分がいなくても問題ないと思っていた花崎は、しかしその土台を作るためにも必要だと言われ、虚を突かれたように言葉を無くした。
パクパクと口を動かすだけの花崎が声を取り戻す前に、大友が声を上げる。
「じゃあ全会一致で花崎ということでー」
その声に皆が同調して、花崎は新生少年探偵団のリーダーに据えられてしまったのだった。